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5月26日(水曜日)、村田清風記念館横の清風神社で、令和3年度清風祭が行われました。
天明3年(1783年)に現在の長門市三隅下沢江で生まれた村田清風は、長州藩の毛利斉房から毛利敬親まで5代の藩主に仕えました。
毛利敬親から財政改革の責任者として抜擢され、「防長の四白政策」として四白(紙・ろう・米・塩)の増産を図ったり、越荷方とよばれる貸倉庫業や金融業を充実させるなど長州藩天保の改革に取り組み、藩の財政を立て直すことに成功します。また、アヘン戦争など欧米列強の脅威を背景に、洋式放銃の導入など対外防備の強化にも努め、明治維新の礎を築いたと伝えられています。
清風祭は、清風の遺徳をしのぶとともに、その功績をたたえるために毎年行われているもので、今年は清風の命日である5月26日に実施されました。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、お茶会や史談会が中止となり、村田清風顕彰会の役員と会員が参列して神事のみ行われました。三隅八幡宮の古屋正次宮司が祝詞を奏上し、続いて参列者が順に玉ぐしを捧げました。
同会の福江博史会長は「昨年に引き続いて神事のみの開催となりました。村田清風の郷土の先人としての功績を伝えていきたいと考えています。一刻も早く新型コロナウイルス感染拡大が収束し、顕彰会の役員も高齢化が進んでいますが、来年こそはふだんの年のようにお茶会などといっしょに開催できれば」と話しました。