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3月16日(月曜日)、国指定史跡「三隅山荘」でハゼノキ植樹式が行われました。
江戸時代初期、村田清風による藩財政改革の1つとして、4つの白い産物(米・紙・塩・櫨)の生産が奨励され、三隅は萩藩直轄地の中で群を抜いた櫨蝋の産地でしたが、明治以降、産業として衰退にするにつれて、木自体も激減し、現在は当時を推し量るほどのハゼノキは残っていない中、この度、高さ2.5m、幹の直径10cmの成木が三隅山荘に寄贈されました。
この木は、平成29年7月九州北部豪雨の被災地・福岡県朝倉市で熊本廣文氏が育てたもので、復興支援に伴う川幅の拡張工事でハゼノキを切らなければいけなくなり、子どもたちの学習に役立てたいという思いから櫨文化協会を通して村田清風記念貨の中野和典館長に相談があり、寄贈に至ったものです。
式では、はじめに村田清風記念館の中野和典館長が「当館では藩政改革の1つ櫨蝋の増産が行われていた名残から全国的にも貴重な蝋絞り機が展示されています。維新の原動力であったハゼの実から和ろうそくや石けんを作る活動を通して、村田清風の維新の功績を子供たちに伝えていければ」とあいさつ。続いて、熊本廣文氏は「このハゼノキが子どもたちの郷土学習に役立ち、ここ三隅でしっかりと根付き、末永く生きていってもらえれば」とあいさつしました。
その後、ハゼノキの周りにしっかりと土を盛り、福岡県朝倉市で育ったハゼノキが三隅でしっかりと育つように、丁寧に水があげられました。