ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 長門の話題 > 「明峰寺あめ」復活に挑戦

本文

「明峰寺あめ」復活に挑戦

ページID:0018217 更新日:2017年3月23日更新 印刷ページ表示
明倫小学校の児童が、長門の三大銘菓の1つ「明峰寺あめ」の復活に挑戦

明倫小学校の児童が、長門の三大銘菓の1つ「明峰寺あめ」の復活に挑戦
山口県の昔話を紙芝居で披露
「明峰寺あめ」の由来や、関連する物語は劇にして発表
明和苑の入所者など約100人が児童の発表を楽しんだ
最後に合唱を披露

 3月23日(木曜日)、三隅の特別養護老人ホーム明和苑で、明倫小学校3・4年生の児童による「明峰寺あめまつり」が開催され、同苑の入所者や職員など約100人が参加しました。

 かつて下関亀の甲煎餅、厚狭寝太郎餅と並び、長門の三大銘菓と呼ばれていた「明峰寺あめ」は、1500年代に長崎県で技術を学んだあめ屋によって、この地区で製造されるようになった「水あめ」「板あめ」です。旧藩時代は藩主にも献上され、最盛期は明峰寺周辺に28軒のあめ屋がありましたが、原料に白米や大麦を多く使うことから、戦前戦後に行われた穀物の統制の影響ですべて廃業することになったといわれています。

 この日はまず、3年生が山口県の昔話を描いた紙芝居や絵本を披露。続いて4年生が、「明峰寺あめ」ができるまでの由来や、この地で亡くなった女性の幽霊が赤ちゃんのために毎晩あめを買いに来たという「子育てあめ」の物語を、劇にして発表しました。本来の製法とは多少異なるものの、児童手作りの「明峰寺あめ」も披露され、参加者からは「昔は板状のあめを、1つ5円くらいで買って食べていました。懐かしいです」といった感想が聞かれました。

 実行委員長を務めた同校4年の田村竜輝さんは「甘くておいしい明峰寺あめが、もっと有名になってほしい。たくさん作ることができたら、明和苑の皆さんにぜひ食べてもらいたい」と話しました。