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清風の遺徳を偲ぶ

ページID:0027046 更新日:2019年5月26日更新 印刷ページ表示
村田清風顕彰会の会員など約30人が参列しました

村田清風顕彰会の会員など約30人が参列しました
三隅八幡宮の古屋正次宮司が祝詞を奏上しました
村田清風顕彰会の福江博史会長は「偉大な遺徳を再確認しながら顕彰に努めていきたい。」と話しました
式典後は、館内シアタールームで史談会やビデオ鑑賞などが行われました
長州藩天保の改革に取り組み、明治維新の礎を築いたと伝えられています。

 5月26日(日曜日)、村田清風記念館横の清風神社で、令和元年度清風祭が行われました。

 清風祭は、清風の遺徳をしのぶとともに、その功績をたたえるために毎年行われているもので、命日である同日に開催され、村田清風顕彰会の会員など約30人が参列しました。式典では三隅八幡宮の古屋正次宮司が祝詞を奏上し、続いて参列者が順に玉ぐしを捧げました。村田清風顕彰会の福江博史会長は挨拶で 「清風祭を挙行することで村田清風先生の偉大な遺徳を再確認しながら今後も顕彰に努めていきたいです。」と話しました。

 式典後は、館内シアタールームで史談会やビデオ鑑賞が行われたほか、記念館の西側にある三隅山荘(村田清風旧宅)で、お茶会が実施されたとのことです。

-資料-  

天明3年(1783年)に現在の長門市三隅下沢江で生まれた村田清風は、長州藩の13代藩主毛利敬親に登用され、藩の財政再建のために「防長の四白政策」として四白(紙・ろう・米・塩)の増産を図るなど、長州藩天保の改革に取り組み、明治維新の礎を築いたと伝えられています。