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国近久助(岩穴鬼右衛門)の岩穴 附 げんのうとのみ  下江良四王社の鳥居

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0024857 更新日:2023年4月29日更新 印刷ページ表示

国近久助(岩穴鬼右衛門)の岩穴 

市指定 史跡

昭和59年5月1日指定

 

江戸時代の安永年間(1772~1780)、上井(うわい)()用水路は、深川川の本流に()(せき)(水を他に引くため、川水をせきとめた所)を設け、東深川南部の水田に用水を導く約1キロの水路であった。途中、山裾に大岩があり、毎年、村人は大岩を迂回するために(はこ)()(箱形の樋。通水路として使うことが多い)をかけ、その修理に手を焼いた。江良に住む(くに)(ちか)(きゅう)(すけ)翁がノミとツチで苦闘5年、口径1m、長さ13mの穴を大岩に開け、水を通した。以来、翁は(いわ)(あな)(おに)()衛門(もん)と讃えられた、文政11年(1827)に83歳で世を去った。久助翁が寄進した下江良(しもえら)()王社(おうしゃ)の鳥居もあわせて指定されている。  (出典『長門市の文化財』他)