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国近久助(岩穴鬼右衛門)の岩穴 附 げんのうとのみ 下江良四王社の鳥居
市指定 史跡
昭和59年5月1日指定
江戸時代の安永年間(1772~1780)、上井出用水路は、深川川の本流に井堰(水を他に引くため、川水をせきとめた所)を設け、東深川南部の水田に用水を導く約1キロの水路であった。途中、山裾に大岩があり、毎年、村人は大岩を迂回するために箱樋(箱形の樋。通水路として使うことが多い)をかけ、その修理に手を焼いた。江良に住む国近久助翁がノミとツチで苦闘5年、口径1m、長さ13mの穴を大岩に開け、水を通した。以来、翁は岩穴鬼右衛門と讃えられた、文政11年(1827)に83歳で世を去った。久助翁が寄進した下江良四王社の鳥居もあわせて指定されている。 (出典『長門市の文化財』他)