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俵山女歌舞伎
県指定 無形民俗文化財
昭和43年4月5日指定
嘉永4年(1851)8月4日に湯町で大火があり、焼けた俵山温泉の復興に際し、熊野神社への祈願と入湯客への謝罪の意味から歌舞伎が奉納された。それ以来、4月23日の熊野神社祭礼に芝居を奉納するようになった。明治の終わりごろ、雛勝一行がこの地に住み着いた。この一座は佐賀の中村福時の流れを汲むものといわれ、女性だけで組織されており「雛勝芝居」と呼ばれた。これが、俵山女歌舞伎の始まりである。 (出典『ながと歴史散歩』『俵山温泉 女歌舞伎』他)