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村田清風旧宅及び墓
国指定 史跡
昭和16年8月1日指定
村田清風旧宅は、清風が生まれてから19歳までと晩年63歳より73歳で病死するまで過ごした家。母屋は萱葺、敷地内には、籾貯蔵庫、厩、井戸、湯殿や教育の場であった尊聖堂、清風松を見ることができる。
清風は天明3年(1783)に三隅の沢江で萩藩の中級武士の家に長男として生まれる。藩財政が非常事態に陥っていた天保9年(1838)、藩主毛利敬親から財政の立て直しの責任者として抜擢され改革(天保の改革)を実行した。「四白政策」を行い産業振興にも力を入れた。しかし、家臣の借金返済を救済する政策(三十七カ年皆済仕法)が商人の不満を招き、弘化2年(1845)に三隅へ隠居する。その後は、尊聖堂にて子弟の教育をはじめ、周布正之助や吉田松陰にも影響を与えた。また、嘉永2年(1848)からは明倫館再建のため力をそそいだ。安政2年(1855)73歳で亡くなった。墓は沢江の大歳山にある。(出典『清風読本』ほか)
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