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萩焼深川窯
深川湯本三ノ瀬に、いま四戸の萩焼窯元が煙をあげている。萩焼の歴史は古く、豊臣秀吉の時代にさかのぼる。16世紀末、文禄の役(1592)、慶長の役(1597)は後世「やきもの戦争」といわれるほどで、従軍した西国大名たちが、競って朝鮮李朝の陶工を連れ帰ったので、西日本各地に窯業が勃興した。
萩藩においても、毛利輝元が、萩の松本村に李朝の陶工、李勺光、李敬等を連れ帰り藩窯が創設された。これが萩焼(当初は松本焼)の始まりである。 承応2年(1653年)蔵崎五郎左右衛門が同族の勘兵衛とともに、大津郡深川村三ノ瀬(現長門市深川湯本三ノ瀬)の地に独立窯業を願い出て、許しを得た。
明暦3年(1657年)4月7日をもって今後絶対に他国へ出向しないという契約書を藩に提出し、三ノ瀬焼物所が創業された。そこで、松本の御用釜を「松本窯」と呼んだのに対し、「深川窯」または「三ノ瀬焼」と呼んだ。
深川窯は以降、盛衰を重ね、今の隆盛をむかえている。
【参考文献】「西日本文化」「長門市史」「広報」