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矢崎節夫館長コラム「木」2025年9月1日

ページID:0062744 更新日:2025年9月1日更新 印刷用ページを表示する

お花が散って
実が熟れて、

その実が落ちて
葉が落ちて、

それから芽が出て
花が咲く。

そうして何べん
まわったら、
この木は御用が
すむかしら。

「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局

 南アメリカの先住民の人たち、インディオには、「私のまわりの自然は子孫たちからの預かりもの」という言葉があるそうです。
 ですから、木を一本切ったら、一本植えるのだそうです。
 世界中の人が、インディオの人たちのように自然に対してやわらかいまなざしを持っていたら、地球温暖化もなかったかもしれないと思うと、他の動植物に申し訳ない気持ちがします。
 『木』の中でみすゞさんは“そうして何べん/まわったら、/この木は御用が/すむかしら。”とうたっていますが、もし御用がすんでしまったら、地球上に私たちは存在することが出来なくなってしまうのですね。
 佐治晴夫先生は「木は私たちの外にある、もう一つの肺なのです」と教えてくださいましたが、本当にその通りで、何度でも思い出して人間と木ではなく、内なる肺と外なる肺だと思って木を見上げたいと思います。 

​令和7年9月1日

金子みすゞ記念館 館長 矢崎 節夫

 

 

 


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