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矢崎節夫館長コラム 「ふうせん」 2019年7月1日
ふうせん
ふうせん持った子がそばにいて、
私が持ってるようでした。
ぴい、とどこぞで笛が鳴る、
まつりのあとの、裏どおり。
あかいふうせん、
昼の月、
春のお空にありました。
ふうせん持った子が行っちゃって、
すこしさみしくなりました。
「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局
天候も人の世の出来事も、驚くことばかりで、穏やかに日々を過ごすのがむずかしい今日このごろです。
そんな時こそ、みすゞさんの詩を読むと人間として大切なことに気づけてほっとします。「ふうせん」の中でみすゞさんは、「ふうせん持った子が/そばにいて、/私が持ってるようでした。」とうたっています。
そうなんですね。ふうせん持った子がそばにいるだけで、自分が持っているように嬉しくなれるのが、みすゞさんの、いえ、人間のすばらしさですね。
私は持っていないと考えて、つまらない気持ちになるのも、自分が持っているように感じられるかは、その人の心柄ひとつです。
自分、自分、自分と自分中心にするのではなく、自分を中心にしてくるっとまわってみると、思いがけず嬉しいことが見えてきます。
七月、今年も半分になりました。
館員一同みなさまのお越しを心よりお待ちしています。
令和元年7月1日
金子みすゞ記念館 館長 矢崎 節夫