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矢崎節夫館長コラム 「私」 28年7月1日
私
どこにだって私がいるの、
私のほかに、私がいるの。
通りじゃ店の硝子のなかに、
うちへ帰れば時計のなかに。
お台所じゃお盆にいるし、
雨のふる日は、路にまでいるの。
けれどもなぜか、いつ見ても、
お空にゃ決していないのよ。
「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局
通りの店の硝子、家の時計の中、台所のお盆、路の水たまり、どれもすうっと通り過ぎてしまえば、気づかないものばかりですが、みすゞさんはしっかりと「私」を見ているのがすごいです。
この見えているものすべてに、きちんと佇むまなざしが、みすゞさんの創作の源でしょう。
空にいないのは、空は亡くなった人がいくところと思っているからかもしれませんね。
ところで、どうしてこの世にたくさんの人がいるのかといえば、私自身が気づかないもう一人の私を見せてくれる為といっていいかもしれません。あの人のあれがいやだと思うのは、まだ表れていない私のいやな所を見せてくれているのかもしれません。その反対に、あの人のあれがいいと思うのは、そのいい所が私の中にまだかくれてあるということかもしれません。
こう思うと、私たちのまわりには大切なもう一人の私でいっぱいです。
平成28年7月1日
金子みすゞ記念館 館長 矢崎 節夫