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麻羅観音供養祭

<外部リンク> 印刷用ページを表示する 掲載日:2018年5月3日更新
毎年5月3日に開催されている供養祭

毎年5月3日に開催されている供養祭
麻羅観音の由来
「地区住民をあげて伝統を守っていきたい」と三浦代表
保存会のメンバーにより「安田小唄」「大内哀し」などの舞が奉納
最後はもちまきが行われた

 5月3日(木曜日)、俵山地区の麻羅観音で供養祭が行われ、関係者ら約20人が参列しました。

これは下安田地区で麻羅観音の清掃など管理する保存会により執り行われたもので、供養祭では能満寺の村上住職による読経の後、関係者や来賓が焼香し、続いて保存会の三浦代表が「昨年は長門市の観光客数が増えており、麻羅観音にも来る人が増えそう。真剣にお参りしている参拝者もおられ、地域住民あげてこの伝統を守っていきたい」とあいさつしました。

最後は保存会のメンバーにより「安田小唄」「大内哀し」など舞が奉納されました。

【麻羅観音の由来】
天文20年(1551年)9月1日、中国地方の太守大内義隆公は家臣の陶晴賢に攻められ、長門湯本温泉の大寧寺で自刃しました。大内義隆公の長子の義尊公は、翌2日、麻羅観音のあった場所にて捕らえられ惨殺されました。末子の歓寿丸は女装して、俵山の山中にかくまわれていましたが、翌年春捕らえられ、麻羅観音のある場所にて殺され、男児の証拠に男根を切られて持ち去られました。これを里人は哀れみ、この社をたてて霊を慰めました。