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大内義隆主従の墓所
県指定 史跡
昭和42年7月4日指定
室町時代、大内家は山口の町を中心に中国地方西部一帯から九州北部にかけて大きな力を持っていた。天文20年(1551)、重臣の陶晴賢の謀反にあい、大内義隆は仙崎から海路九州へと逃れようとしたが叶わず、9月1日湯本の大寧寺で自刃した。『大内義隆記』や『陰徳太平記』には当時の住職と義隆のやり取りが記されている。
境内には大内義隆・義尊父子の墓および家臣の墓31基がある。墓石は宝篋印塔で、石材は萩石。
(出典『長門市史』『大寧寺ものがたり』ほか)
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