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金子みすゞ記念館/記念館職員の日記

ページID:0023345 更新日:2018年8月1日更新 印刷用ページを表示する

みすゞさんのことばの森・10

天の川

みすゞさんの童謡《お祭すぎ》や《七夕の笹》(『金子みすゞ童謡全集(1)美しい町・上』)などには、夏の夜空に浮かぶ美しい天の川が詠われています。それら天の川を題材にした作品には、このような詩もあります。

 

《お乳の川》

 

なくな、仔犬よ、

日がくれる。

 

暮れりゃ

母さんいなくとも、

 

紺の夜ぞらに

ほんのりと

お乳の川が

みえよもの。

(『金子みすゞ童謡全集(2) 美しい町・下』JULA出版局より)

詩の中の「お乳の川」とは、天の川のことです。

 天の川は英語で“Milky way”といいます。星の集まりが白っぽく見え、ミルクが流れているようにも見えるからです。この呼び方は、ギリシャ神話がもとになっています。

 ギリシャ神話では、幾つかの物語がありますが、一つには…

 英雄ヘラクレスが生まれたとき、父神ゼウスはヘラクレスが強い子に育つよう、ギリシャで一番偉い女神ヘラのお乳をあげようとしました。しかし、生まれたときから力の強いヘラクレスが強く吸ったため、あふれたお乳が天の川になった、という伝説もあります。

 さらに詩を見て、星座のおおいぬ座とこいぬ座のことを想像された方もいるかも知れません。この二つの星座の間にちょうど天の川が流れていますので、仔犬から見て川の向こうに大犬がいます。

 大正時代の児童書で、ギリシャ神話は各国の物語と並んで盛んに紹介されました。みすゞさんの愛読していた雑誌『金の星』でも、英雄たちの冒険を連載しています。みすゞさんの童謡《金のお好きな王さま》(『金子みすゞ童謡全集(4)空のかあさま・下』)もギリシャ神話が題材になっています。

 

みすゞさんのことばの森・9

桂木山

《竹とんぼ》

 

キリリ、キリリ、竹とんぼ、

あがれ、あがれ、竹とんぼ。

 

二階の屋根よりまだ高く、

一本杉よりまだ高く、

かつらぎ山よりまだ高く。

 

私のけずった竹とんぼ、

私のかわりに飛びあがれ。

 

キリリ、キリリ、竹とんぼ、

あがれ、あがれ、竹とんぼ。

 

お山の煙よりまだ高く、

ひばりの唄よりまだ高く、

かすんだお空をつき抜けろ。

 

けれどもきっと忘れずに、

ここの小みちへ下りてこい。

(『金子みすゞ童謡全集(4) 空のかあさま・下』JULA出版局より)

 空高く上がっていく竹とんぼを見つめる少女の姿が頭に浮かんでくる詩です。

 この詩の2連目に「かつらぎ山」という地名がでてきます。桂木山は美祢市にある山で仙崎から南東の方角に見えます。標高は702mで仙崎から見渡せる最も高い山です。

katuragiyama

 

みすゞさんのことばの森・8

大羽鰮

 

《大漁》

 

朝焼小焼だ

大漁だ

大羽鰮の

大漁だ。

 

浜はまつりの

ようだけど

海のなかでは

何万の

鰮のとむらい

するだろう。

   (『金子みすゞ童謡全集(2) 美しい町・下』JULA出版局より)

 

 現代では魚のイワシは一般的に「鰯」と書きますが、みすゞさんの《大漁》では「鰮」の字が使われています。

 

「鰮」は中国で作られた漢字ですが、対して「鰯」は日本で作られた国字で、奈良時代から使われていました。明治時代の本を見てみると、「鰮」も「鰯」も両方使われています。

またイワシにもウルメイワシやカタクチイワシなど、いくつか種類がありますが、「大羽イワシ」はマイワシの中でも20cm前後の大型のものを指します。15cm前後は中羽イワシ、10cm前後は小羽イワシと呼びます。

 

 同時代に童謡での使用例としては、大正10年に発表された野口雨情の《山椒の木》で「上総は鰮の大漁だ」と詠う部分があります。

 みすゞさんの詩では、他にも《とんび》(美しい町・下)、《王子山》(さみしい王女・下)にも見られます。

 

みすゞさんのことばの森・7

伝承遊び・十二竹

《十二竹》

 二貫借りてる

 かんしゃくの、

やりばのなさに

投げ出した、

竹のおもての

こみどりを、

ちかりと白く

光らせる、

縁の日ざしの

うららかさ。

 

十二竹

かえしそこねて

投げ出して、

すこし泪の

にじむ眼に――

(金子みすゞ童謡全集(6) さみしい王女・下 JULA出版局より)

 

「十二竹(じゅうにたけ)」は竹を使った伝統的な遊びで、全国的には「竹返し」という呼び方が一般的です。

皮付きの竹を、長さ約15~20cm、幅約1,5cm、厚さ約2~3mmほどのヘラ状にしたものを12本用意します。外側の緑の面が表、内側の白い面が裏になります。

遊び方の一例として、12本の竹を握って一度に投げ上げ、それを手の甲で受けます。そしてそれを一本ずつ、表向きか裏向きのどちらかに揃うように落とします。始めに手の甲に乗った竹の状態を見て自分がどちらにそろえるか決めてから落す、などのルールがあります。

地方によって使う竹は6本や10本前後、呼び方や遊び方も様々です。

 

十二竹

(写真では長さ20cm、幅1,2cm、厚さ2mmのものを12本使用。)

 

詩の中で「かえしそこねて投げ出して」とあるので、手の甲から落とすときに上手く返せなくて悔しかったのでしょうか。この詩の他に、《日曜の午後》(さみしい王女・下)にも出てきます。

 

みすゞさんのことばの森・6

《お月さまの唄》の「あとさま、なァんぼ。」とは?

《お月さまの唄》

 

「あとさま、なァんぼ。」

「あとさま、なァんぼ。」

  ばあやは教えてくれました、

  ちょうどこのよな夕月に。

 

「十三、九つ。」

「十三、九つ。」

  いまは、弟に教えます、

  おなじお背戸で手々ひいて。

 

「まだ年ゃ、わァかいな。」

「まだ年ゃ、わァかいな。」

  私はこのごろ唄わない、

  お月さまみても、忘れてた。

 

「あとさま、なァんぼ。」

「あとさま、なァんぼ。」

  みえぬばあやが手々ひいて、

おもい出させてくれるよな。

(『金子みすゞ童謡全集(3) 空のかあさま・上』p,26 JULA出版局)

 

 「あとさん(あとさん)なんぼ」の「あとさん」は月を意味しています。これは子どもの言葉遊びの一種で、「お月さんいくつ…」などと唱えて遊ぶものです。その後は「十三 七つ…」と唄が続きますが、これは十三夜の七つ時(4時頃)の月ということで、まだ若いという意味になります。(岩波書店『広辞苑』より)

 このような「お月さま」のわらべ唄は、全国各地に伝わっています。この詩の中では「九つ」と唄っていますが、やはり時間を表しています。

 それ以後に続く歌詞も、各地方により少しずつ異なっています。

 

みすゞさんの“ことば”の森・5

2つの《瀬戸の雨》

 みすゞさんの詩について、語句や表現の他にもさまざまなお問い合わせを頂きます。今回は、みすゞさんのふるさと仙崎で町歩きをされた方から頂いた質問をご紹介します。

◆《瀬戸の雨》の詩が2種類あるようですが?

みすゞ通りの北端まで進むと、青海島を臨む「瀬戸」に出ます。「瀬戸」は幅の狭い海峡を意味し、仙崎という地名も、「瀬戸崎」が変化したものといわれています。

現在は青海大橋により、本土と青海島は自動車で往来できますが、みすゞさんの時代は渡し舟が使われていました。その様子を描いたのが《瀬戸の雨》です。現在は跡地にこのようにパネルと石碑が設置されていますが、それぞれ詩の内容が異なっています。

 瀬戸の渡し場 瀬戸の渡し場

渡し場跡からの眺め。対岸の青海島までは約100m余り、写真左端にパネルと詩碑が設置され、右端に青海大橋が見える。

 

 まずはパネルの詩からご紹介します。

 

 瀬戸の雨

 

ふったり、止んだり、小ぬか雨、

行ったり、来たり、渡し舟。

 

瀬戸で出逢った潮どうし、

「こんちはお悪いお天気で。」

「どちらへ」

「むこうの外海へ。」

「私はあちらよ、さようなら。」

なかはくるくる渦を巻く。

 

行ったり、来たり、渡し舟、

降ったり、止んだり、日が暮れる。

(『金子みすゞ童謡全集(1) 美しい町・上』JULA出版局)

 

この詩は、みすゞさんの遺稿集に書かれていたものです。(現代漢字仮名遣いに直しています。)

 

 続いて石碑に彫られた詩です。

 

 瀬戸の雨

 

ふったり、やんだり、小ぬか雨、

行ったり、来たり、わたし舟。

 

瀬戸で出会った、潮同志、

「あなたは向うへゆきますか

わたしはこっち、さようなら」

なかはくるくる、渦を巻く。

 

行ったり、来たり、渡し舟、

ふったり、止んだり、小ぬか雨。

 

 こちらは雑誌『婦人倶楽部』大正12年11月号に掲載されたものです。(現代漢字仮名遣いに直しています。)遺稿集とは、特に詩の中の部分が異なっています。雑誌に投稿して掲載される過程で、選者が手を加えたのかもしれません。

  渡し舟は住民の生活には欠かせないものでした。当時は手漕ぎ舟が使われており、渡してほしい人は手をあげて大声で舟を呼びました。この海峡から西側が外海、対して東側が内海と呼ばれ、潮の干満で瀬戸の中央は渦巻きが見られます。詩の中では二つの潮が仲良く挨拶をしているように表現していますが、舟に乗っている人は、潮に流されて思うような方向へ進まず苦労したそうです。

 やがて手漕ぎからエンジンを積んだ船に変わります。そして昭和40年、本土と青海島を結ぶ青海大橋が完成し、渡し舟は役目を終えました。

みすゞさんの“ことば”の森・4

◆みすゞさんと「橙」

「ナツミカン」は、仙崎の方言では「橙(ダイダイ)」と呼ばれ、みすゞさんの詩にも4編出てきます。最も有名な物はこちらでしょうか。

 

《橙の花》

  泣いじゃくり

  するたびに、

  橙の花のにおいがして来ます。

 

  いつからか、

  すねてるに、

  誰も探しに来てくれず、

 

  壁の穴から

  つづいてる、

  蟻をみるのも飽きました。

 

  壁のなか、

  倉のなか、

  誰かの笑う声がして、

 

  思い出しては泣いじゃくる、

  そのたびに、

  橙の、花のにおいがして来ます。

(『金子みすゞ童謡全集(5) さみしい王女・上』JULA出版局)

 

 詩《お風邪》(『金子みすゞ童謡全集(6)さみしい王女・下』)にも「風吹きゃ匂う/橙の花よ、」とうたわれるように、初夏に咲く白い花は、辺り一面に甘い香りをただよわせます。よく「香水をまいたよう」と形容されるほどです。
 ナツミカンは、江戸時代中ごろ長門市青海島にどこからか流れ着いた果実を、西本チョウという少女が拾って種を蒔いたのが始まりと伝えられており、現在も青海島の大日比に原樹があります。実が色づいても木から落ちず、その木にまた次の花が咲き、実が代々続いてなることから「ダイダイ」と呼ばれる縁起の良い果物といわれています。
 1800年代初めごろに萩に伝えられ、明治維新後には困窮した武士を救済するため栽培が奨励され、名産品となりました。明治中期、萩の商人が大阪へ出荷する際に「ナツミカン」という名称が提案され、現在は一般的に使われています。ナツミカンの花は、山口県の県花に指定されています。

だいだいの花

ナツミカンの木は、かつて仙崎では至る所で見られました。

《お仏壇》(『金子みすゞ童謡全集(4)空のかあさま・下』)の詩の中で「お背戸でもいだ橙も、」と言われているように、かつて背戸(=家の裏)によく植えられていました。みすゞさんの家だけでなく、近所の家々の裏側にナツミカンが植えられていました。果実は色づく前はとても酸っぱく、その果汁は食酢として、刺身につける醤油に混ぜたり、魚を酢でしめるときなどに使われました。
 初夏まで待つと酸味が和らぐので、甘いお菓子が簡単に手に入らなかった時代は、子ども達にとって大切なおやつでした。
 また、詩・《橙畑》(『金子みすゞ童謡全集(5) さみしい王女・上』)には、ナツミカン畑が大切な遊び場であったことが書かれています。
 仙崎とナツミカンの関わりを思い出しながら、ぜひこれらの詩を読んでみてください。

 

みすゞさんの“ことば”の森・3

 みすゞさんは、生まれ育った仙崎の風景を多くの詩にうたっていますが、その中で使われた方言などについて質問を頂くことがあります。今回はそのうちの一つを解説いたします。

◆《波の橋立》に出てくる、「もぐっちょ」とは何ですか?

「波の橋立」は仙崎八景の一つで、青海島の南西側にある、淡水湖の青海湖と仙崎湾とを隔てる砂洲です。みすゞさんも、“よいところ”と詩にのこしていますが、その中に「もぐっちょ」という言葉がでてきます。

 

《波の橋立》

波の橋立よいところ、
右はみずうみ、もぐっちょがもぐる、
左ゃ外海、白帆が通る、
なかの松原、小松原、
さらりさらりと風が吹く。

  海のかもめは
  みずうみの
  鴨とあそんで
  日をくらし、
  あおい月出りゃ
  みずうみの、
  ぬしは海辺で
  貝ひろう。

波の橋立、よいところ、
右はみずうみ、ちょろろの波よ、
左ゃ外海、どんどの波よ、
なかの石原、小石原、
からりころりと通りゃんせ。

(金子みすゞ童謡全集 さみしい王女・下 JULA出版局)

「もぐっちょ」はカイツブリのことを指す方言です。カイツブリはハトほどの大きさの水鳥で、水中に巧みに潜って魚を捕ります。このカイツブリは、《学校》という詩にも「鳰(にお)」という言葉で出てきます。みすゞさんの通った大津郡立大津高等女学校をよんだと思われる詩で、現在の私立長門高等学校の位置にありました。

 

《学校》

 

舟でくる子もありました、
峠を越す子もありました。

うしろは山で蝉の声、
まえはつつみで葦の風。

田圃を越えて海がみえ、
真帆も片帆もゆきました。

赤い瓦に、雪が消え、
青いお空に桃が咲き、

新入生のくるころは、
鳰も、かえろも啼きました。

黒いつつみを背におい、
あかい苺ももぎました。

赤い瓦の学校よ、
水にうつった、あの屋根よ、

水にうつった、影のよに、
いまはこころにあるばかり。

(金子みすゞ童謡全集 空のかあさま・下 JULA出版局)

 鳰(にお)はカイツブリの古名で、奈良時代には「にほとり」「みほとり」と呼ばれていました。万葉集にも見られ、「鳰鳥(におどり)の」は「潜(かづ)く」「おきなが(息長)」などにかかる枕詞です。平安時代に、「にほ」とも呼ばれるようになり、室町時代には「かいつぶり」という呼び方が現れ、江戸時代からは、「かいつぶり」が主に用いられるようになります。カイツブリの語源は「掻きつ潜(むぐ)りつ」や、水に潜るときの「づぶり」という音から等の説があります。

また、「鳰」は水に入る鳥であることからできた国字です。

 カイツブリは水に巧みに潜ることから「もぐりっちょ」「むぐりっちょ」「つぶり」「ずぶりこ」「ずんぶり」など、各地で様々な方言で呼ばれています。

皆さんの地方では、なんと呼ばれていますか?

 

参考

菅原浩、柿澤亮三『図説 日本鳥名由来辞典』柏書房株式会社 1993年発行

『日本方言大辞典』株式会社小学館1989年発行

みすゞさんの「ことば」の森・2

 

平成28年3月14日

みすゞさんの詩の中で、現在あまり使われない言葉やちょっとした表現についてご質問を頂くことがあります。その中で今回は、教科書にも載っている詩《不思議》について解説いたします。

◆《不思議》の「たれ」と「誰」は、なぜ違う書き方をされているのですか?
はっきりとは知らない人を指す言葉である「誰」は、もとは「たれ」と言っていたのが変化し、現在は「だれ」と読むのが一般的です。(現在発行されている詩集ではルビを振る場合、原則的に「誰(だれ)」となります。)
同じ意味の言葉ですが、みすゞさんは詩の中で、特定の人を指す「誰」と、不特定の存在を指す「たれ」または「たあれ」を使い分けています。「たれ」と「誰」が混在する詩で代表的なものが《不思議》です。


《不思議》

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべている、
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
誰もいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。
(『金子みすゞ童謡全集6  さみしい王女・下』JULA出版局)


このように《不思議》では、「たれ」は広く不特定の存在を指しますが、続いての「誰」は特定の人を指します。もう一編ご紹介します。


《四つ辻》

誰か
知らないお客さま、
おうちのみちをきかないか。

すねてお家をぬけたゆえ、
秋の夕ぐれ、四つ辻に。

はらりはらりと散る柳、
ちろりちろりとつく灯。

たれか
知らない旅のひと、
お家のみちをきかないか。
(『金子みすゞ童謡全集4  空のかあさま・下』JULA出版局)


《四つ辻》でも、「誰か 知らないお客さま」は、特定の人ですが、「たれか 知らない旅のひと」ではより不特定の人へ向けた呼びかけになっています。
このように、みすゞさんの詩の中では、「たれ」と「誰」は使い分けられています。同じような使い分けは《おとむらいの日》(美しい町・上)、《落葉》(さみしい王女・下)にも見られます。
ぜひ一度、意識しながら読んでみてください。詩の世界をもっと深く味わえるのではないでしょうか。


 

みすゞさんの「ことば」の森

平成28年1月9日

 みすゞさんの詩を読んでいるとき、語句や表現で疑問に思ったことはありませんか。詩の中には長門の方言や、今日ではあまり使わなくなった言葉や言い回しが使われています。それらについてご質問を頂くことがありますので、こちらで少しずつ解説させていただきます。

◆《こだまでしょうか》で、「遊ぼう」を「あすぼう」と読むのはなぜですか。

 こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

        (『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)

 みすゞさんの遺稿手帳には、「遊ばう」に「あす」とルビがふられています。「あすぶ」は、現在あまり使われていませんが、「あそぶ」が変化した読み方で、辞書にも掲載されています。

◆《石ころ》で、最後の「けろりかん」とはなんですか。

 石ころ


きのうは子供を
ころばせて
きょうもお馬を
つまずかす、
あしたは誰が
とおるやら。

田舎のみちの
石ころは、
赤い夕日に
けろりかん。

        (『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)

 最後の「けろりかん」が何とも軽妙な印象ですが、これは平然とした様子を表す「けろり」を強めた言葉です。
  『広辞苑』(岩波書店)より

 今回はご質問を頂くことの多いものから2点ほどご紹介しました。その他の語句や表現も、また次の機会にご紹介いたします。


みすゞさんのブロンズ像ができました。

平成27年12月9日

 みすゞさんのブロンズ像が設置され、12月8日、除幕式が行われました。金子みすゞ記念館から約150m北側の「みすゞ通り」沿いで、新たに整備されたポケットパークの中に建てられました。

みすゞブロンズ像

 像は、東京造形大学の小川幸造教授が制作され、大津高等女学校時代のみすゞさんをモチーフにしています。

ポケットパーク

 ポケットパークには、みすゞの詩に出てくる草木が植えられたり、詩の世界を表現した造形も見つけることができます。
  みすゞさんの詩集を片手に、仙崎の町歩きが楽しくなりました。


来館者累計150万人突破しました!

平成27年11月17日

 金子みすゞ記念館の来館者が累計150万人を突破し、本日(11月17日)記念のセレモニーが行われました。平成15年4月11日の開館以来12年8ケ月(4456日)での達成となりました。
  150万人目のお客様は香川県と大阪府からお越しの高橋様母娘で、大西倉雄長門市長からはお祝いの花束、矢崎節夫館長からは記念品として『金子みすゞ童謡全集』(Jula出版局)が贈られました。

150万人

 これまでお越し下さいましたすべての方々、いつも見守って下さる地域の皆さん、ご協力いただいた皆さんに、職員一同、感謝申し上げます。


仙崎のあねさま

平成27年10月27日

 私は幼いころから、和紙や千代紙をよく箱にためこんでいました。
 そんな私が最近気になっているのが、「あねさま人形」です。ちりめんの和紙で日本髪の頭を作り、千代紙の衣装を着せた紙人形で、地方によって様々なタイプがあります。

あねさまの頭

 上の写真は、仙崎の方に作っていただいた、あねさま人形の頭です。こちらでは、方言で「ねーまー人形」と呼ばれます。みすゞさんの詩にも「あねさま」として《らくがき》や《巡礼》、《けがした指》等にでてきます。

あねさま人形

 衣装を着つけると、このようになります。(現代の和紙人形作りの資料を参考に作製したもの。)

「昔は贈り物を包んでいた紙や、ついてきた水引を大切に取っておいて、こういったもので工夫して作っていたのよ。」と、地元の方からお話を伺いました。今では仙崎で作る方は、ほとんどいらっしゃらないとのこと。伝統の遊びとして残ってほしいものです。


記念館の人気者

平成27年9月29日

 現在、記念館の本館入口に人気者がいます。

 それがこのオジギソウです。触ると葉が閉じることで有名ですね。

おじぎそう

 秋の連休中、来館者の方から触れられるたびに、閉じて開いてを繰り返していました。今は60センチメートル程の背丈になり、「ずいぶん大きくなるんですね。」というお声をよくいただきます。ピンクのポンポンのような花もかわいいですね。
  特にお子様は「この草、生きてる!」とびっくりする方や、「なんで?なんで?」とずっと気になってその場を離れられない方も。
  大人の方も、「子どもの頃に触って遊んだね。不思議だったなぁ。」と昔を懐かしく思い出される方がいらっしゃいます。どの世代の方にも共通する、「不思議」な思い出なのですね。


夏休みが終わって

平成27年8月31日

 8月も今日で終わりです。風も涼しくなりました。

 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 今年は、毎年恒例の夏休み企画「みすゞ検定」に加え、長門市主催のクイズラリーにも、多くの方に挑戦していただきました。ありがとうございました。
「みすゞ検定・小学生以下編」では、みすゞさんの詩を勉強した方も、まだこれから授業で習うという方も、一生懸命展示を見ながらチャレンジして下さいました。
「みすゞ検定・中学生編」は、今年はちょっと手ごたえのある問題だったかも知れません。お子様の隣で、問題を横目で見ながら真剣に考えるお父様やお母様の姿も見られました。
  みすゞ検定に参加されたお子様には、検定結果をお送りします。さらに、成績の優秀な方から抽選でプレゼントをご用意しております。
  発送は9月中を予定しておりますので、もう少しお待ちくださいませ。


仙崎祇園祭

平成27年7月28日

 みすゞさんのふるさと仙崎、八坂神社の祇園祭は、毎年7月19日~26日まで続くお祭りです。

 20日には八坂神社からお旅所まで神輿が神幸し、26日にはお旅所(古祇園)から八坂神社へ帰ってきます。

 神輿の通った後は山車が回ります。今年は大黒様の飾りをつけた山車でした。町の数個所では、かわいい舞子たちが舞を披露します。山車の後には、少年たちがカミシモを着用し、警固役をつとめます。

 また、来月の8月1日は「みすゞ七夕笹まつり」が行われます。記念館も笹飾りを準備しておりますので、ぜひご覧くださいませ。

祇園祭の山車


夏の企画展示

平成27年7月5日

 7月、8月の企画展示は、イラストレーター・尾崎眞吾さん(現在は長門市に在住)の「みすゞギャラリー」原画展です。
  尾崎眞吾さんは、NHKテレビ「アニメ三銃士」のキャラクターデザインの他、企業広告のイラストで国際的な賞を数多く受賞されています。
  みすゞさんの詩をテーマに描いたイラスト「みすゞギャラリー」は、200点にものぼります。
  その中から、水彩原画16点を、企画展示室にてご覧いただけます。お子様にもなじみ深い《私と小鳥と鈴と》、《こだまでしょうか》、夏らしく爽やかな《蝉のおべべ》や《金魚》など、夏休みをご家族で楽しんでいただける作品をご用意しております。
(8月は、一部展示替えを予定しております。)

 やさしい雰囲気の水彩画は、子ども時代にかえったような気持ちにさせてくれます。 

 来館者の方からも「可愛い絵ですね」というお声がよく聞かれます。ぜひご覧くださいませ。

みすゞギャラリー原画展


アジサイ

平成27年6月14日

 町を歩くと、梅雨の雨にぬれたアジサイが一際鮮やかです。
  花瓶のお花も、この季節はやはりアジサイです。
  幼い頃は、「何で土によって色が変わるの?」とか「どうして花びらよりガクの方が綺麗なの?」と不思議がいっぱいの花でした。
  大人になると、そういう性質の植物だからと納得してしまい、あの頃の不思議はどこかに消えてしまいました。少し味気ない気もします。


  みすゞさんの詩にもアジサイがでてきます。
 《まり》という詩では、子どもがまりを探し歩いて、見つけたと思ったらアジサイだった、というシーンがあります。
 「分かる!小さいときはボールみたいに見えたなあ。」と懐かしい気持ちになりました。

アジサイの花


「我が家の庭」のばら

平成27年5月20日

 記念館の中庭に、今年もバラが咲きました。
 このバラの木は、金子家の親戚の家に残されていたもので、記念館建設の際に移植されました。


  みすゞさんは女学校時代、同窓会誌『ミサヲ』に随想をいくつか寄せています。
その一つ《我が家の庭》の中で「女王のような、大きなばらの花が高からぬ木一ぱいに咲きほこっている。」と書いています。


  かわいいピンク色のバラの花が、さわやかな風にゆれています。
  つぼみもまだ幾つかありますので、しばらくは楽しめそうですよ。

中庭のバラ


橙の花

 平成27年5月8日

 記念館のとなり、馬つなぎ場で橙の花が見頃をむかえています。
  ダイダイは、実と花が一緒につくため、「家が代々続く」ということで縁起が良いとされています。
  うまく一緒に写真に撮れました。
  みすゞさんの詩にも、「橙の花」がでてきます。
 
  泣いじゃくり
  するたびに、
  橙の花のにおいがして来ます。

  いつからか、
  すねてるに、
  誰も探しに来てくれず、

  壁の穴から
  つづいてる、
  蟻をみるのも飽きました。 

 樹の近くによると、さわやかな香りがただよっています。

橙の実と花

ごあいさつ

平成27年4月23日

  今月から「記念館職員の日記」を担当いたします、学芸員の内海と申します。よろしくお願いいたします。
  さて、4月は新生活スタートの月でもあります。記念館でも毎月ミニコンサートで歌ってくれるみすゞ保育園の園児達も新しい年長さんになりました。これから1年間、頑張ってみすゞさんの詩を歌ってくれます。(コンサートの日程はお知らせでご確認ください。)
  また、新しい教科書でみすゞさんの詩と出会う小学生もいらっしゃると思います。
  私もこの日記を、これからも定期的に更新していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
  それから、ツイッターでもつぶやいていますので、そちらもご覧いただけたら幸いです。

3月10日

平成27年3月10日

 今日は毎月恒例の、みすゞ保育園の園児たちによるミニコンサートが行われました。この日は、みすゞさんの命日で来館者の方々にお茶の接待も行われました。来館者の方々も、かわいい歌声と、美味しいお茶と桜もちを楽しんで行かれました。
 記念館入口の金子文英堂に、みすゞさんを偲ぶ子ども達の歌声が響きました。
 雪の舞うとても寒い日ですが、みすゞさんのうたった温かい心は、ずっと変わらずに受け継がれていることを感じました。

みすゞ保育園ミニコンサート


児童作品展示のお知らせ

平成27年2月3日

 寒い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 現在記念館では、本館の企画展示室にて「平成26年度 みすゞ児童作品コンクール」の作品を展示しております。感想画、感想文、自由詩の3部門に分かれており、どの作品にも自由で伸びやかな感性が光っています。

 長門市児童の力作を是非ご覧ください。 

あけましておめでとうございます。

平成27年1月1日

 皆さん、新年あけましておめでとうございます。

 昨年はたくさんの方に御来館頂き、誠にありがとうございました。今年も御来館いただいた方に、より一層ご満足いただけるようスタッフ一同精進して参りますので、よろしくお願いいたします。
 現在、記念館入口(金子文英堂)ではしめ飾りと門松を飾って、みなさまをお待ちしております。
 ぜひ、お正月の金子文英堂前で記念写真を撮ってみてはいかがでしょうか。

門松


新商品のおしらせ

平成26年12月21日

山口県内限定販売のみすゞのしおりが記念館でも取り扱いを開始しました。

尾崎信吾さんのイラストで、裏面にみすゞの詩が印刷されています。お土産にどうぞ

しおり

12月です

平成26年12月4日

12月に入り、記念館では毎年恒例のクリスマスツリーを飾りました。

コドモノノクニや、金の星など、みすゞさんが詩を投稿していた雑誌にも、何冊かクリスマスのイラストが表紙となっていますが、みすゞさんはどのようなクリスマスを過ごしていたのでしょうね。

本館では基本的には撮影禁止となっていますが、このツリー周辺は撮影可となっていますので、ぜひ来館記念に顔出しパネルをつかった記念撮影はいかかでしょうか。

turi-


完成!

平成26年9月8日

M2014

 8月31日、記念館前に設置してあるモザイク画のリニューアルが終了し、新たに「わたしと小鳥とすずと」のモザイク画がお披露目されました。今回のモザイク画には、期間限定のAR機能がついており、アプリを使って撮影すると、特別なムービーが見られるようになっています。期間は10月中旬までとなっておりますので、お早めにご覧ください!

 また、夏休みの期間中に来館されたお客様に書いていただいたメッセージが、壁面の低い位置に張られていて、自分の書いたメッセージが探しやすくなっています。また訪れた際は探してみてくださいね。


モザイクアートがリニューアルされます。

 金子みすゞ記念館の前、錦町商店さんの壁面にある「星とたんぽぽ」をイメージしたモザイク壁画がこの度リニューアルされることとなりました。

 本日みすゞ七夕笹祭りに合わせて、みすゞ燦参Sunのメンバーの方が記念館出口にて壁画に使うかまぼこ板へのメッセージを募集しています。

piece

 かまぼこ板がなくなり次第終了となりますが、記念館お越しの際はぜひご記入をよろしくお願いします!

mosaicart


7月

 仙崎はまだジメジメとした天気が続いていますが、早くも7月をむかえました。

今月は夏休みも始まり、家族で旅行する機会が増えてきますね。

 記念館では、夏休みから恒例の「みすゞ検定」が始ります。金子みすゞの生涯や詩について出題されるお子さま向けの簡単なテストですが、合格者には抽選で素敵なプレゼントを用意しています。また、こちらは通年受付していますが、詩札づくり体験も行います。

 仙崎では19日に花火大会、20日に祇園祭、ヨットフェスタといったイベントもありますので、ぜひ夏の思い出作りにお越しください!


ながとボランティアガイド

 みすゞ記念館の中は自由見学となっており、スタッフの案内はございませんが、お時間のある方はみすゞさんの育った町・仙崎を地元ガイドと歩いてみませんか?

みすゞのお墓や、テレビや新聞などでも紹介された「大漁」のモザイクアート「M20000」など、みすゞゆかりの地へご案内いたします。

事前にご予約が必要ですが、都合が合えば当日でもご案内いたします。ご夫婦やご家族でのご旅行の場合、ガイド料はかかりませんのでお得です。

また、毎週日曜日には先崎駅13時スタートのガイドもあり、こちらは予約不要となっております。

お申し込みは金子みすゞ記念館(0837-26-5155)までご連絡ください。

ながとボランティアガイド  ながとボランティアガイド会<外部リンク>


みすゞ通りの新しいみどころ

平成26年4月22日

みすゞ通りに新しいみどころ、「金子みすゞデザインパネル」が設置されました。

みすゞの詩と、長門市在住のイラストレーター尾崎眞吾氏によるかわいらしいイラスト画がパネルとなり、全部で20枚、みすゞ通りのいたるところに飾られています。

さらに、パネル内のQRコードを読み込むと、みすゞの詩の朗読を聴くことができるので、ぜひおためしください!

             みすゞ通り「極楽寺」デザインパネル



記念館職員の日記