ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 金子みすゞ記念館 > 記念館メニュー > コラム > 金子みすゞ記念館/コラム

本文

金子みすゞ記念館/コラム

ページID:0013805 更新日:2015年11月1日更新 印刷用ページを表示する

春のお機

平成28年2月6日

トン、トン、トンカラリンと
佐保姫さまは
むかしお機を織りました。

麦をみどりに、
菜種を黄に、
げんげを紅く、
かすみを白く、

五つ色いと
四つまでつかい、
残ったものは
青いとばかり。

トン、トン、トンカラリンと
佐保ひめさまは
それでお空を織りました。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 二月に入ると、節分、立春と暦の上では、どんどん春に向かっています。
  本当に、寒い、寒いといっているうちに、春は突然やって来る、そんな気がします。
  この季節にみすゞさんの『春のお機』を読むと、にこにこしてしまいます。
  白く、やわらかい春がすみをまとっている、春をつかさどる神さま、佐保姫さまがトン、トン、トンカラリンと機を織っているのです。
  ”麦をみどりに、/菜種を黄に、/げんげを紅く、/かすみを白く、/五つ色いと/四つまでつかい、/残ったものは/青いとばかり。”その青いとでお空を織っているのです。
  今日は気持ちのいい青空、みすゞばれです。
  もしかすると、もうお空がさきに織り終わり、今は麦や菜種、げんげやかすみを織っていらっしゃるのかもしれません。
  まだまだ寒い日が続きますが、みなさんのお心に佐保姫さまのトンカラリンがきこえてくるのも、もうすぐです。

                                金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

郵便局の椿

平成28年1月11日

あかい椿が咲いていた、
郵便局がなつかしい。

いつもすがって雲を見た、
黒い御門がなつかしい。

ちいさな白い前かけに、
赤い椿をひろっては、

郵便さんに笑われた、
いつかあの日がなつかしい。

あかい椿は伐られたし、
黒い御門もこわされて、

ペンキの匂うあたらしい、
郵便局がたちました。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

  新年あけましておめでとうございます。
  コラム遅くなり申し訳けございません。
  元旦から記念館は開館、館員一同みんなかわらず元気に新年を迎えております。
  本年もどうぞよろしくお願いいたします。
  みすゞ通りには、みすゞさんのうたにでてくる場所がたくさんあります。『郵便局の椿』にでてくる郵便局も、その一つです。
  新しくなった郵便局にも、前に椿が植えられ、あかい椿の花が咲いています。
  椿はさざんかのように花びらが散るのではなく、花自体がぽとりと落ちるので、ひろいたくなるのですね。幼いテルちゃんも、ひとつ、ふたつと前かけにひろったのでしょう。白い前かけと赤い椿があざやかです。
  椿は香りがないので、それが欠点のようにも思われがちですが、椿の花言葉の一つに「控えめな美しさ」というのがあります。香りがないのを控えめとうれしい方に考える心柄が、なんとも美しく、うれしいですね。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

麦の芽

平成27年12月4日

お百姓、畠に麦まいた。

毎晩、夜霜が降りたけど、
毎朝、朝日が消してって、
畠はやっぱり黒かった。

ある夜、夜なかに誰か来た、
杖を三べん振っていた。

「こどもよ、こども、出ておいで。」

あけの明星と、お百姓と、
一しょに麦の芽みィつけた。
そこにもここにもみィつけた。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 12月になりました。みなさま、風邪などひかれてはいませんか。暮れのあわただしい毎日、くれぐれもご自愛下さいますように。
 金子みすゞ記念館は150万人を越えるお客様をお迎えすることが出来、嬉しい11月でした
 今月は10月にお知らせしました女学生のみすゞさんの像(小川幸造制作)が、記念館とみすゞさんの墓のある遍照寺の中間のみすゞ通りに、いよいよ出来ることになりました。又、将来的には仙崎の海側に道の駅も出来、長門のいろいろな品を買えるようになりますし、みすゞ通りには第2記念館のような所も生まれ、みすゞさんが甦っての資料や童謡の歴史や詩人たちに出合える部屋や、書家金澤翔子さんの書になるみすゞさんの詩もご覧いただける予定です。
 『麦の芽』の「一しょに麦の芽みィつけた。/そこにもここにもみィつけた。」のように、元気な仙崎に出合っていただける予感がします。
 どうぞ良い年末年始をお迎えください。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

夢から夢を

平成27年11月2日

一寸法師はどこにいる。
一寸法師は身がかるい、
夢から夢を飛んで渡る。

そして昼間はどこにいる。
昼も夢みる子供等の、
夢から夢を飛んで渡る。

夢のないときゃ、どこにいる。
夢のないときゃ、わからない、
夢のないときゃ、ないゆえに。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 11月に入って、朝夕急に冷え込むようになりました。北海道ではもう雪景色との知らせもあります。
  みなさま、おかわりありませんか。
  今月は金子みすゞ記念館にとって、うれしい月になります。今月の半ばで150万人もの来館者をお迎えすることになりました。開館から12年と7カ月、私たちにとって本当に夢のようです。
  長門市の市民の力で生まれた金子みすゞ記念館ですが、お訪ねくださった全国のみなさんによって育てられて、今日を迎えることが出来ました。心からお礼申し上げます。
  館の私たちにとって、来館されたみなさまの声がけや感想が、どれほど大きな力となってきたことでしょう。
  これからも、みすゞさんの『夢から夢を』のように、夢を持ち続けて前に進んでいきたいと思います。
  風邪などひかれませんように。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

ゆびきり   

平成27年9月26日

牧場の果にしずしずと、
赤いお日さま沈みます。

柵にもたれて影ふたつ、
ひとりは町の子、紅いリボン、
ひとりは貧しい牧場の子。

「あしたはきっと、みつけてね、
七つ葉のあるクローバを。」

「そしたら、ぼくに持って来て、
そんなきれいな噴水を。」

「えええ、きっとよ、ゆびきりよ。」
ふたりは指をくみました。

牧場のはての草がくれ、
あかいお日さま、ひとりごと。

「草にかくれて、このままで、
あすは出ないでおきたいな。」

 

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

  みすゞ通りに置かれる予定の彫刻家、小川幸造氏の作品「金子みすゞ」像が、東京・国立新美術館の第79回新制作展に出品され、拝見することができました。 
  指の一本一本まで繊細なみすゞさんの内面を表現しているような、さわさかで、凛とした、美しい女学生の立像でした。
  女学生のみすゞさんは学校の行き帰りに、よく話を考えていたそうですが、『ゆびきり』も、そんな一つに思えます。
  七つ葉のクローバも、同じくきれいな噴水も、もちろん持ってくることはできませんが、そんな無理な約束ができるくらい、赤いリボンの女の子と牧場の子は、一緒にいられることが、うれしくてしかたないのでしょう。
  お日さまが、「草にかくれて、このままで、あすは出ないでおきたいな。」と、心配していますが、でも、心配はいりませんね。
  明日も逢えるだけで、倖せなのですから。
  みすゞさんの、小さい、恋の物語です。

                                金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 平成27年8月31日

 

空の山羊追い
眼にみえぬ。

山羊は追われて
ゆうぐれの、
曠野のはてを
群れてゆく。

空の山羊追い
眼にみえぬ。

山羊が夕日に
染まるころ、
とおくで笛を
ならしてる。

 

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

  空にひつじ雲やうろこ雲、いわし雲が流れていくのを見ると、秋だなと思います。
  こんな雲を見ると、いつもみすゞさんの『風』を口ずさみたくなります。そして、子どもの頃きいたマタイ伝18章の「百匹の羊」の話を思い出します。
  (もし一匹の羊が迷子になったら、九十九匹の羊をそこに残してでも、羊飼いは迷子の一匹を探しに行くでしょう)
  迷子の一匹を探しに行っている間に、残りの九十九匹が迷子にならないのかな、と子ども心に思っていました。でも、『風』を知ってからは、残りの九十九匹は決して迷子にはならないんだと気づきました。
  「空の山羊追い/眼にみえぬ。」
  羊飼いも眼にみえなくても、九十九匹の羊の心の中にちゃんと居てくれるから、誰も迷子にはならないのですね。
  心の中に居てくれる大切な人を思い出して、日々をきちんと過ごしたいと思います。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

竹とんぼ

平成27年7月31日

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

二階の屋根よりまだ高く、
一本杉よりまだ高く、
かつらぎ山よりまだ高く。

私のけずった竹とんぼ、
私のかわりに飛びあがれ。

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

お山の煙よりまだ高く、
ひばりの唄よりまだ高く、
かすんだお空をつき抜けろ。

けれどもきっと忘れずに、
ここの小みちへ下りてこい。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 

 

絵雑誌「コドモノクニ」昭和11年6月号 掲載  『竹とんぼ』

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、
竹とんぼ。

二階の屋根より まだ高く、
お寺の松より まだ高く、
桂木山より まだ高く、

私のこさへた 竹とんぼ、
私のかはりに、あァがれ。

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

お山の煙より まだ高く、
雲雀の唄より まだ高く、
かすんだお空より まだ高く。

けれども、きっと忘れずに、
ここの小みちへ かァへれ。

 

 大正11年から昭和19年まで絵雑誌『コドモノクニ』が発行され、昭和11年に、「お魚」と未発表の「竹とんぼ」が載っています。
  もちろん没後のことですから、編集部の依頼で師の西條八十が選んだものでしょう。この時、多分、八十が手直ししたものと思いますが、自筆とは何カ所か違っています。
  「一本杉よりまだ高く」が「お寺の松よりまだ高く」 「私のけずった」が「私のこさへた」 「飛びあがれ」が「あァがれ」「かすんだお空をつき抜けろ」が「かすんだ空より まだ高く」 「小みちへ下りてこい」が「小みちへ かァへれ」
  童謡は言葉で絵を描く詩ですから、「一本杉より」より「お寺の松より」の方が、距離感がより具体的で、絵になっていますし、「お空をつき抜けろ」も「まだ高く」の方が、前の2行と韻を踏んでいます。「けずった」は「こさへた」の方が、言葉がやわらかいですね。でも、「あァがれ」と「かァへれ」は、みすゞさんの方が、竹とんぼに対する愛情が感じられる、そんな気もします。
  この「竹とんぼ」が没後6年たって選ばれたということは、西條八十がみすゞさんの自筆の三冊の童謡集を持っていたことの証明になるかもしれません。
  8月5日、BS朝日の「黒柳徹子のコドモノクニ」が放送されます。ごらんいただけるとうれしいです。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

お日さん、雨さん

 平成27年7月1日

 

      ほこりのついた
      芝草を
      雨さん洗って
      くれました。

      洗ってぬれた
      芝草を
      お日さんほして
      くれました。

      こうして私が
      ねころんで
      空をみるのに
      よいように。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 6月に2週間ほど自分の不注意で、右腕を三角布でつるしていました。おかげで、『お日さん、雨さん』のような、あたたかい言葉にたくさん出逢いました。
新幹線や飛行機では「何かお手伝いが出来ることがあれば、いつでもおっしゃって下さい」と、係の人に声をかけられ、ホテルでは、フロントの人が住所などを書いてくれ、「宅急便の紙をいただけますか」と言うと、「それも、こちらでお書きします」と書いてくれ、お寿司屋さんでは、左手にフォークを持って食べている私に「お寿司、フォークで食べずらいと思いますので、半分に切りましょうか」と言われたり…。                              

 芝草は雨があらってくれ、お日さんがかわかしてくれる。「こうして私が/ねころんで/空をみるのに/よいように。」 本当にそうだなぁと、まわりの人の言葉のあたたかさに倖せをいっぱいいただきました。この原稿も書けるようになりました。感謝です。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

雨のあと

  平成27年6月1日

   

      日かげの葉っぱは
      泣きむしだ、
      ほろりほろりと
      泣いている。

      日向の葉っぱは
      笑い出す、
      なみだの痕が
      もう乾く。

      日かげの葉っぱの
      泣きむしに、
      たれか、ハンカチ
      貸してやれ。

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 

 6月に入りました。予報によると、今年の梅雨は6月は例年より雨が少なく、7月は多めとのことです。
  晴れれば、晴れの喜び、くもりは、くもりの喜び、雨降れば、雨の喜びに出逢えます。
  晴れでも、くもりでも、雨でも、みんな天気の一つだと思えば、日々是好日です。
  『雨のあと』でも、みすゞさんのまなざしはかわりません。ひかげとひなたに、きちんと向かい合って、寂しいひかげの葉の方に、そっと手を添えるのです。
  今月6月8日(月曜日)夜9時からTBSの二時間ドラマ、石井ふく子先生プロデュース、水谷豊主演「居酒屋もへじ 4」の中で、水谷さんと高島礼子さんの出逢いと別れの会話の中での場面で、この『雨のあと』と もう一編が、とても印象的に流れます。是非機会がありましたら、ごらん下さい。

 6月20日からは、みすゞさんと金澤翔子さんのコラボ展(ひびきあう詩と書)も福岡県立美術館で始まります。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

みんなを好きに

平成27年5月1日

      私は好きになりたいな、
      何でもかんでもみいんな。

      葱も、トマトも、おさかなも、
      残らず好きになりたいな。

      うちのおかずは、みいんな、
      母さまがおつくりなったもの。

      私は好きになりたいな、
      誰でもかれでもみいんな。

      お医者さんでも、烏でも、
      残らず好きになりたいな。

      世界のものはみィんな、
      神さまがおつくりなったもの。

 

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

 ネパール・ルンビニの第1みすゞ小学校には、ネパール語で『みんなを好きに』が飾られています。
  この開校式には、村中総出でお祝いをしてくれ、翌日からは、まだ校門があかないうちから、子どもたちが駆け足で登校してくる姿は、とても感動的でした。
  ほかの学校の開校式に参加した時は、45度の中、風がないのに時おり、生あたたかい風が横から吹いてきて、ふと見ると、村のおばあさんが暑いだろうからと、自分の口で風を送ってくれていたこともありました。
  大雨で道がくずれ、バスが立ち往生して困っている時、近くの村から男の人が鍬をかついで駆けつけてくれ、道を直してくれました。帰っていく男の人の後を、集まってきた4、5人の子どもたちが、胸をはって、一列になって帰っていく様子は、絵のようでした。
  ネパールの地震のニュースに、あの子どもたちは、村の人たちはと心が痛みます。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

仲なおり

    平成27年4月1日

      げんげのあぜみち、春がすみ、
      むこうにあの子が立っていた。

      あの子はげんげを持っていた、
      私もげんげを摘んでいた。

      あの子が笑う、と、気がつけば、
      私も知らずに笑ってた。 

      げんげのあぜみち、春がすみ、
      ピイチク雲雀が啼いていた。

 

 

『金子みすゞ記念館』(JULA出版局)

 

  春です。4月になりました。 田んぼやあぜ道に、げんげや菜の花がいち面に咲いて、紅紫色や黄色のあかるい色があふれています。
   げんげを紫雲英と書くのは、遠くからげんげの群生を見ると、低くたなびく紫雲のよう
に見えるからだそうです。
  「げんげのあぜみち、春がすみ」で始まる『仲なおり』を読むと、春のうれしさと仲 なおりのうれしさが重なって、とっても倖せな気持ちになります。「春はあけぼのー」といいますが、「春はあぜみち、春がすみ」と口づさみたくなります。
 桜が咲いて、げんげが咲いて、菜の花咲いて、私たちも自然の一部ですから、私たちも又、それぞれの花を咲かせることができるのでしょう。
 記念館も13年目に入ります。今年度もたくさんの方においでいただけるとうれしいです。

                                 金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

草山

 平成27年3月5日

草山の草の中からきいてると
いろんなたのしい聲がする。
 
「けふで七日も雨ふらぬ
のどがかわいた水欲しい。」
それはお山の黒い土。

「空にきれいな雲がある
お手々ひろげて掴まうか。」
それはちひさな蕨の子。

「お日さん呼ぶからのぞかうか。」
「私もわたしも、ついてゆく。」
ぐみの芽、芝の芽、茅萱の葉
いろんなはしやいだ聲がする。

 


『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

    

  先日、サロン・ド・フジノというおしゃれな会で、素潜り世界記録歴代3位の保持者で、フリーダイビングの岡本美鈴さんのすてきなお話をお聴きする機会がありました。
  たくさんのお話がありましたが、特にすごいなと思ったのは、潜る途中で雑念が入ると体が緊張するので、次々と浮かんでくる雑念を打ち消すのではなく、電車の窓から外を見ている時のように、次々と流していくのだそうです。そうすると雑念の映像がただ点、点、点と、‥‥と、流れるようになるのだそうです。まさに無になるとは、こだわらないこと、流すことと、禅の極意を伺うようでした。
  はやいもので、もう3月です。冷たく、固かった草山も、3月と共に、楽しいはしゃいだ声のする、にぎやかな春の山にかわります。
  見えないものを感じられるみすゞさんは又、聴えない声も聴える人でした。
  そんなみすゞさんのまねでもいいので、春の喜びの声をいっぱい楽しんでください。

                                金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

店の出来事

平成27年2月3日

霰がこんころり、
潜戸からはいった。
お客さんが、霰と、
お連れになってはいった。
   (こんばんは。)
   (はい、いらっしゃい。)

詩時計がちんからり、
お客さんの手で鳴った。
あられの音にまじって、
一つとやを歌うた。
   (さようなら。)
   (はい、ありがとう。)

歌時計がちんからり、
鳴り鳴り出てった。
消えるまできいてて、
ふっと気がつけば、
霰はとうに止んでいた。

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 寒い日々が続きますが、みなさんおかわりありませんか。
みすゞさんのふるさと、山口県は本州の南ですが、長門市は日本海側なので、霰がまったり、あまり積もるほどではありませんが、雪も降ります。
  そんな時、「店の出来事」を思い出します。
  みすゞさんは、女学校の学芸会で、「今、作ったばかりのお話です」と、教師と全校生徒の前で語り、それがとても上手でみんな驚いたという話が残っていますが、この詩を読むと、本当に上手だったろうなと頷きます。
  静かな霰の降る夜に、潜戸をくぐって入ってきたお客さん。黒い帽子に、黒いコート、手には買ったばかりのオルゴールのついた箱時計を持って…。それが突然、ちんからりと鳴ったのです。
  霰の降る夜、お客さんが店に入って帰るまでのわずかな時間が、まるで映画のように、楽しく、ほほえましく、目に見えますね。

                          金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

八百屋のお鳩

平成27年1月1日

 

親鳩、子鳩
お鳩が三羽
八百屋の軒で
クックと鳴いた。

茄子はむらさき
キャベツはみどり
いちごの赤も
つやつや濡れて。

なァにを買おぞ
しィろい鳩は
知らぬかおして
クックと鳴いた。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 新年あけましておめでとうございます。
  金子みすゞ全集出版31年目、金子みすゞ記念館開館12年目にはいります。
  記念館の前の通りは、町の人々によってみすゞ通りと名づけられ、今もこの通りには『郵便局の椿』で歌われた郵便局や『角の乾物屋』や、もうお店はしていませんが『八百屋のお鳩』のお宅や、仙崎八景に歌われている『極楽寺』や『祇園社』、みすゞの墓所、遍照寺など、みすゞさんにゆかりの場所がいくつもあります。また商工会議所青年部がカマボコ板でつくったすてきなモニュメントもいくつもあり、今年の後半にはみすゞ通りに新しいスポットとして、女学校時代のみすゞ像も建設されます。町中にあるみすゞさんの詩を読みながら、是非、散策してくださるとうれしいです。さらにおすすめは、毎月10日午前(日はかわることあり)のみすゞ保育園園児のみすゞさんのうたが聴けることです。
  みなさんと共によい一年になりますように。

                         金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

かぐやひめ―おはなしのうたの二―

平成26年12月4日

竹のなかから
うまれた姫は、
月の世界へ
かえって行った。

月の世界へ
かえった姫は、
月のよるよる
下見て泣いた。

もとのお家が
こいしゅて泣いた、
ばかな人たち
かわいそで泣いた。

姫はよるよる
変らず泣いた、
下の世界は
ずんずん変った。

爺さん婆さん
なくなってしもうた、
ばかな人たちゃ
忘れてしもうた。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局

 喪中のハガキが年を重ねるごとにふえます。
  亡くなった人はどこへ行くのでしょう。どこにも行かないで、生きている人の心の中に生れて、いつも思い出すことで一緒に生きている、と思うのです。
  みすゞさんの『かぐや姫―おはなしのうた2―』を読むと、強くそう思えます。
”爺さん婆さん/なくなってしもうた、/ばかな人たちゃ/忘れてしもうた。”
  容貌が美しいという世間のうわさだけで、月へ帰らなければならないかぐや姫の心を分かろうともせず、ただ見えるものだけを手に入れさえすればいいと考えていた男たちだからこそ、一度もかぐや姫で心をいっぱいにしなかった男たちだからこそ、すぐに次の女性を見つけて、忘れてしまったのでしょう。
”ばかな人たちゃ/忘れてしもうた。”ということがないよう、去っていった大切な人たちをしっかり思い出し、一緒に生きながら、今年の最後の月を大事に送りたいと思います。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

 

星とたんぽぽ

平成26年11月4日掲載

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ、
   見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ、
   見えぬものでもあるんだよ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 先日、松岡修造さんと小学生が、テニスのラリーをしているテレビ番組を偶然見ました。
 その時、さすがみすゞさんを大好きでいらっしゃる松岡さん!と感激しました。
 10回のラリーができれば、そのテストは合格ということでしたが、何人かいる小学生はみんな途中で、失敗します。
 失敗して「すみません」とあやまる小学生に、松岡さんは「どうしてぼくにすいませんというの」と問います。「君は一生懸命ラリーをしたのではないのか。子どもはがんばっても失敗するものなんだよ。その時に、すみませんとあやまるんじゃなくて、失敗した自分をくやしがらなければだめだ。君は失敗してくやしかったろう」
 これを聞いて、ふと「星とたんぽぽ」を思い出しました。あやまるのは、目に見える行為です。自分をくやしがるのは、目に見えない行為です。目に見えない行為が、その人を豊かに育てていくのですね。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

 

海の果て

平成26年10月3日掲載

雲の湧くのはあすこいら、
虹の根もともあすこいら。

いつかお舟でゆきたいな、
海の果までゆきたいな。

あまり遠くて、日が暮れて、
なにも見えなくなったって、

あかいなつめをもぐように、
きれいな星が手で採れる、
海の果までゆきたいな。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 みすゞさんのふるさと長門市仙崎と同じ、古式捕鯨の地、千葉県の房総半島を舞台にした映画『ふしぎな岬の物語』吉永小百合主演、成島出監督が、第38回モントリオール世界映画祭で審査員特別大賞に輝きました。
  『海の果て』はこの映画の劇中詩として、『鯨法会』と共に、吉永さんによって朗読されます。
  “雲の湧くのはあすこいら、/虹の根もともあすこいら。”と、声に出して読むと、ワクワクしてきます。虹の端ではなくて、虹の根もと、いい言葉ですね。そこから虹がぐうんとのびてくるようです。
  子どもの頃から母に教えられて、カール・ブッセの『山のあなた』(上田敏訳)を山を見ると口ずさんでいましたが、今は海を見ると“雲の湧くのは・・・”と口ずさみます。そうすると、「誰もが今が一番若いのだから」と、みすゞさんに声をかけてもらっているようで、うれしくて、元気がでます。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

さよなら

平成26年9月3日掲載

降りる子は海に、
乗る子は山に。

船はさんばしに、
さんばしは船に。

鐘の音は鐘に、
けむりは町に。

町は昼間に、
夕日は空に。

私もしましょ、
さよならしましょ。

きょうの私に
さよならしましょ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 『さよなら』は、大好きな詩の一つです。“降りる子は海に、/乗る子は山に。//船はさんばしに、/さんばしは船に。”と声にだして読んでいると、その一行一行に合わせるように、からだが右に、左に、ゆっくりと揺れて、更に“鐘の音は鐘に、/けむりは町に。//町は昼間に、/夕日は空に。”と、風景が波紋のように広がっていきます。
  それが、なんとも穏やかで、満ち足りた気持ちにしてくれるのです。
  女学校の帰り道、みすゞさんの明るい気持ちに乗って、口ずさむようにして生まれた詩のように思えます。
”私もしましょ、/さよならしましょ。//きょうの私に/さよならしましょ。”
  今日の私にさよならできるのは、今日一日を充分に過ごしたからでしょう。もちろん、充分に過ごせない日であっても、明日が一番新しい日なんだと思って、今日を引きずらず、今日にさよならできる私でありたいです。           

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


青い空

平成26年8月2日掲載

なんにもない空
青い空、
波のない日の
海のよう。

あのまん中へ
とび込んで、
ずんずん泳いで
ゆきたいな。

ひとすじ立てる
白い泡、
そのまま雲に
なるだろう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 猛暑の夏、真っ青な空を見上げると、海にとび込んで、ずんずん泳いでゆきたいなと思います。
  海だけでなく、プールでも、もう20年以上泳いでいないのに、やっぱり泳ぎたいなと思うのは、母の胎内にいた時の記憶がそうさせるのでしょうか。
  さて、漁師町の子どものみすゞさんは、泳ぎがとくいだったでしょうか。
  みすゞさんの大津高女の後輩、木村鈴子さんの話では、「テルさんは幼い時におとうさんを亡くしておられるので、泳ぎはできなかったと思います。あの頃は、おとうさんが海に連れていって、泳ぎを教えてくれたもので、私はカッパでした」と話されていました。
  泳ぎはとくいでなくても、みすゞさんでも真っ青な空を見ると“あのまん中へ/とび込んで、/ずんずん泳いで/ゆきたいな。”と考えたと思うと、うれしくなりますね。
  熱中症にお気をつけて、よい夏をどうぞ!

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


お家のないお魚

平成26年7月4日掲載

小鳥は枝に巣をかける、
兎は山の穴に棲む。

牛は牛小舎、藁の床、
蝸牛ゃいつでも背負っている。

みんなお家をもつものよ、
夜はお家でねるものよ。

けれど、魚はなにがある、
穴をほる手も持たないし、
丈夫な殻も持たないし、
人もお小舎をたてもせぬ。

お家をもたぬお魚は、
潮の鳴る夜も、凍る夜も、
夜っぴて泳いでいるのだろ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 最近、昼間、霧雨のような雨の中で、うらの家の屋根のむこうの電信柱でキジバトが、クーク・ポーポーとしきりに鳴きます。
  かわいい声なのに、雨にぬれて聴えてくると、「冷たくないかな」「さびしくないかな」と、切ない気持ちになります。
  「お家のないお魚」を読むと、みすゞさんは深く魚のことに心を寄せて、切ない気持ちになったのでしょう。
  みすゞさんの詩に出合って、動物や植物や、鳥や虫に、切ない気持ちがふえたような気がします。もちろん、それらの心や気持ちが分かるわけではないのですが、地球上で最も知性と理性があるべき人間の一人として、同じ地球上のいのちに対して、以前より深く想いを持てるようになった、そんな気がします。
  人間であれ、他のいのちであれ、ひとりだけの倖せや、ひとりだけのさびしさ、悲しさはありません。少なくとも、このことだけは、しっかりと心にとどめていきたいと思います。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

雨のあと

平成26年6月4日掲載

日かげの葉っぱは
泣きむしだ、
ほろりほろりと
泣いている。

日向の葉っぱは
笑い出す、
なみだの痕が
もう乾く。

日かげの葉っぱの
泣きむしに、
たれか、ハンカチ
貸してやれ

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 みすゞさんはいつも、光と影、見えるものと見えないもの、大と小のように、相対する二つにきちんと向かい合い、その上で、影の方に、見えないものの方に、小さいものの方に心を寄せて歌います。

 そのおかげで、一方的な考えや見方に片寄りがちな私たちのまなざしを、そっと揺らして、大切なことを思い出させてくれます。

 「雨のあと」でも、日かげと日向に目を向け、その上で“日かげの葉っぱの/泣きむしに、/たれか、ハンカチ/貸してやれ。”と、歌っています。

 “たれか、ハンカチ/貸してやれ。”が、とてもいいですね。みすゞさんが貸して、終わり、ではなく、だれかと呼んでくれているおかげで、みんながドキドキできるのです。

 ハンカチはみすゞさんが生まれる20年ほど前の鹿鳴館時代に、手ぬぐいに代わり急激に広まったもので、新しいことばの一つです。

 そう思って読むと、又、おもしろいですね。

                                 金子みすゞ記念館館長  矢崎節夫


空の鯉

平成26年5月2日掲載

お池の鯉よ、なぜ跳ねる。

あの青空を泳いでる、
大きな鯉になりたいか。

大きな鯉は、今日ばかり、
明日はおろして、しまわれる。

はかない事をのぞむより、
跳ねて、あがって、ふりかえれ。

おまえの池の水底に、
あれはお空のうろこ雲。

おまえも雲の上をゆく、
空の鯉だよ、知らないか。

 

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 五月には、日本中の空をこいのぼりが泳ぎます。

 仙崎ではこの時期、傘屋さんが紙のこいのぼりを作っていたといいます。金子家でも、堅助さん、テルさん、正祐さんが生まれる度に、こいがふえていったことでしょう。

 みすゞさんの「空の鯉」を読むと、五月晴れのような、嬉しい気持ちになれて、元気がでます。

 人はつい、他の人や、他の職業を「いいなぁ」とか、「うらやましいなぁ」と思いがちです。誰だってきっとそうですし、一度も他をうらやましがらない人はいないでしょう。

 でも、みすゞさんは、“はかない事をのぞむより、/跳ねて、あがって、ふりかえれ。”とうたい、“おまえも雲の上をゆく、/空の鯉だよ、/知らないか。”とうたっています。

 五月晴れの日、外にでて、大きく深呼吸して、こいのぼりのように、気持ちを空に飛ばして、自分である喜びを大いに感じたいです。

                                金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫


暦と時計

平成26年4月10日掲載

暦があるから
暦を忘れて
暦をながめちや、
四月だといふよ。

暦がなくても
暦を知つてて
りこうな花は
四月にさくよ。

時計があるから
時間をわすれて
時計をながめちや、
四時だといふよ。

時計はなくても
時間を知つてて
りこうな鶏は
四時には啼くよ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 金子みすゞ記念館は12年目に入りました。新年度もどうぞよろしくお願いいたします。

 今月のうたは「暦と時計」です。

 「星とたんぽぽ」で“見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。"と歌ってくれて、私たちに目に見えない大切なことがあることに気づかせてくれたみすゞさんですが、「暦と時計」では“暦があるから/暦を忘れて/暦をながめちや、/四月というよ。”と、目に見えることによって、大切なことを忘れてしまいがちなことに気づかせてくれます。

 見えることと見ることは違いますし、ただ見ることと深く見ることも違います。

 四月は新入園、新入学、新社会人、新しい職場と、新しいがいくつもつく年度始めです。

 自分のまわりに居てくれる大切な存在、大切なことを、もう一度深く思い出して、心を新たに、よりよい日々を過ごせる自分でありたいと思います。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫


お魚の春

平成26年3月5日

 わかいもずくの芽がもえて、
 水もみどりになってきた。

 空のお国も春だろな、
 のぞきに行ったらまぶしいよ。

 飛び魚小父さん、その空を、
 きらっとひかって飛んでたよ。

 わかい芽が出た藻のかげで、
 ぼくらも鬼ごとはじめよよ。

 

                                            

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 今年も三月には墓前祭が行なわれ、全国からたくさんの方が参加されます。

 仙崎の海も、厳しい寒さを越えて、春を感じさせる、おおらかな表情を見せてくれます。

 岩場や防波堤の上から海中をのぞき込むと、やわらかい緑の藻が、雲のようにゆれています。

 「あれは。もずくです」と、町の人が教えてくれました。

 もずくは、古来、水雲あるいは海雲と書いたそうです。

 「お魚の春」を声に出して読むと、自分が小さい魚になって、春の海にいるようなワクワクした気持ちになります。

 みすゞさんは童謡を書く時、きっと声に出して書いたんだと、いつも思います。それはみすゞさんの童謡がそのうたに必要な長さで、きちんと書かれているからです。言葉が多すぎると、発見は消えるのです。声に出して、みすゞさん体験を楽しんでください。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


積った雪

平成26年2月10日

 上の雪
 さむかろな。
 つめたい月がさしていて。

 下の雪
 重かろな。
 何百人ものせていて。

 中の雪
 さみしかろな。
 空も地面もみえないで。

 

                                            

   『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 みすゞさんの『積った雪』を読むと、最近は「身口意の三業をととのえなさい」という言葉を想います。

 身とは身体、口とは言葉、意とはこころです。お釈迦さまは、身体と言葉とこころ、これで人は成り立っているのだから、きちんと大切にしなさいとおっしゃっているのです。

 でも、いつの間には、「中の雪」のように「口」のことを忘れて「上の雪」と「下の雪」の「身体」と「こころ」だけに目を向けているのではないでしょうか。

 身体の調子が悪くなると、言葉使いが雑になります。こころが乱れている時も、言葉使いが雑になります。すべては言葉に表われるのです。

 人柄も、心柄も、その人の言葉によって、すべてが見えるということでしょう。

 みすゞさんのように、言葉をやさしく、やわらかく、豊かに、うれしい色で使える人になりたい、いえ、なろうと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


手品師

平成26年1月4日

 私はきのう、決めたのよ、
 いまに大きくなったなら、
 上手な手品師になることを。

 きのう見て来た手品師は、
 みるまに薔薇の花咲かせ、
 ばらをお鳩に変えていた。

 

                                            

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 三が日、みすゞ晴れの地、又、雪が続いた地、くもりや晴れや、雪の降った地・・・それぞれ、天候はちがっても、新しい一年がめぐってきました。

 みなさま、新年おめでとうございます。

 今年が、みなさまにとって倖せ多い年でありますよう、心から願っております。

 『手品師』を読むと、みすゞさんはことば一つで世界を変える、本当にすごい手品師だなと思います。

 (行商隊)では、小蟻の行列を、砂漠を歩く駱駝の行商隊に変えたり・・・

 (紋附き)では、秋のくれがた、月を背にして見ている深川湾の空間を、きれいな紋つきに変えたり・・・

 今年もみすゞ全集をひらいては、みすゞさんのことばの手品を、楽しみたいと思います。

 それには、まずまわりをゆっくりと見まわして、空になったり、家になったり、自分以外の方から日々を楽しむ自分でありたいです。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


去年

平成25年12月14日

 お舟、みたみた、
 お正月、元旦、
 旗も立てずに黒い帆あげて、
 ここの港を出てゆく舟を。

 お舟、あの舟、
 乗ってるものは、
 きょうの初日に追い立てられた、
 ふるい去年か、去年か、そうか。

 お舟、ゆくゆく、
 あのゆく先に、
 去年のあがる港があるか、
 去年を待って、たあれか居るか。

 去年、みたみた、
 お正月、元旦、
 黒い帆かけたお舟に乗って、
 西へ西へと逃げてく影を。

 

                                            

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 今年も残すところ半月になりました。この半月が、一番あわただしい日々の方が多いことでしょう。

 充分、体調に注意され、お過ごしくださることを願っています。

 十二月の今月の詩は「去年」です。

 「去年」を読むたびに、みすゞさんのまなざしに近づけていない自分を省みる思いです。

 去年のことを考えているのが、新しい年の始まり、この日から新たな出発の日の元旦なのです。

 ほとんど誰もが、前しか向いていない時に、みすゞさんはふっとうしろを振り返って、「お舟、ゆくゆく、/あのゆく先に、/去年のあがる港があるか、/去年を待って、たあれか居るか。」と、去り行く去年に対して心を向けているのです。

 新年と旧年、これも二つで一つです。

 もうすぐ旧年となる残りの日が、みなさまに倖せ多い一日一日でありますように!

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


学校へゆくみち

平成25年11月8日

 学校へゆくみち、ながいから、
 いつもお話、かんがえる。

 みちで誰かに逢わなけりゃ、
 学校へつくまでかんがえる。

 だけど誰かと出逢ったら、
 朝の挨拶せにゃならぬ。

 すると私はおもい出す、
 お天気のこと、霜のこと、
 田圃がさびしくなったこと。

 だから、私はゆくみちで、
 ほかの誰にも逢わないで、

 そのおはなしのすまぬうち、
 御門をくぐる方がいい。

 

                                            

   『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞ生誕110年記念の一つとして、京都で京セラ顧問の伊藤謙介先生とのみすゞトークがありました。

 伊藤先生はみすゞさんの作品を通して、経営者のあるべき姿を語ってくださっていて、京セラの社員の方は、みんなみすゞさんの作品を知っているそうです。

 その伊藤先生が「学校へゆくみち」について、「みすゞさんは何ごとにも集中できたのですね」とおっしゃっていました。

 この作品で、そんなことを考えたことがなかったので、なるほどと驚いたと共に、それぞれが読みたいように読める、みすゞさんの作品のはばの広さに心打たれました。

 集中するとは、深く見る、つまり「観」ということでしょう。

 みすずさんはどんなことに対しても、いつもきちんと向かい合って、深く見、感じることが出来た人だったのです。

 改めてみすゞさんのすごさを思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


蜂と神さま

平成25年10月10日

 蜂はお花のなかに、
 お花はお庭のなかに、
 お庭は土塀のなかに、
 土塀は町のなかに、
 町は日本のなかに、
 日本は世界のなかに、
 世界は神さまのなかに。

 そうして、そうして、神さまは、
 小ちゃな蜂のなかに。

 

                                            

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 10月4日から11月4日まで、ルネッサながとの文化情報ギャラリーで、「香月泰男・金子みすゞ・金澤翔子の心‐こころ‐展」が開催されています。香月泰男美術館20周年、金子みすゞ記念館10周年を記念して行なわれるもので、ここに書家の金澤翔子さんが花を添えてくださったものです。

 金澤翔子さんはダウン症というハンデを負いながら、お母さんであり、書家の泰子さんに師事し、書道を始めた方で、書家として今、最も注目されている方です。

 じつは今回のご協力には、29年の長いご縁のつながりがありました。お母さんの泰子さんは金子みすゞ全集が出版された時、最初に手にされたお一人で、翌年、お生まれになった翔子さんもみすゞさんが大好きなのだそうです。

 まるで「蜂と神さま」を具現化するような、うれしい今回の三人展、是非たくさんの方にごらんいただきたいと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


秋は一夜に

平成25年9月9日

 秋は一夜にやってくる。

 二百十日に風が吹き、
 二百二十日に雨が降り、
 あけの夜あけにあがったら、
 その夜にこっそりやって来る。

 舟で港へあがるのか、
 翅でお空を翔けるのか、
 地からむくむく湧き出すか、
 それは誰にもわからない、
 けれども今朝はもう来てる。

 どこにいるのか、わからない、
 けれど、どこかに、もう来てる。

 

                                            

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局

 「みすゞさんは幼い頃お父さんが亡くなられたので、多分、泳げなかったと思います」と話してくれたのは、女学校の後輩、木村鈴子さん。金子文英堂を継いで木村聖文堂を始めた方です。

 みなさまの所では、いかがでしたでしょうか。被害にあわれた地域の方に心からお見舞い申し上げます。

 日々、どんな天候に出合うか心配でもありますが、そんな時、みすゞさんの「秋は一夜に」を読むとホッとします。

 今日は九月九日、二百十日が過ぎ、明日は二百二十日です。

 「あけの夜あけにあがったら、/その夜にこっそりやって来る。」「秋は一夜にやってくる。」

 広々とした、秋の青空は私たちをおだやかで、やさしい気持ちにさせてくれます。

 みすゞ晴れの空を、ゆっくりと見あげて、今年残りの3分の1を、大切に過ごし、豊かな時間を積み上げていきたいと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


人なし島

平成25年8月5日

 人なし島にながされた、
 私はあわれなロビンソン。

 ひとりぼっちで、砂にいて、
 はるかの沖をながめます。

 沖は青くてくすぼって、
 お船に似てる雲もない。

 きょうも、さみしく、あきらめて、
 私の岩窟へかえりましょ。

  (おや、誰かしら、出て来ます、
 水着着た子が三五人。)

 百枚飛ばして、ロビンソン、
 めでたくお国へつきました。

  (父さんお昼寝、さめたころ、
 お八つの西瓜の冷えたころ。)

 うれしい、うれしい、ロビンソン、
 さあさ、お家へいそぎましょ。

 

                                            

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 「みすゞさんは幼い頃お父さんが亡くなられたので、多分、泳げなかったと思います」と話してくれたのは、女学校の後輩、木村鈴子さん。金子文英堂を継いで木村聖文堂を始めた方です。

 「私たちの子どもの頃は、父親が海に連れていって、泳ぎを教えてくれたもので、私も夏になると毎日のように海に連れていかれて、教わりました。勉強より、スポーツが大好きだったので、すぐに覚えて、女学校の頃は海岸ではなく、もっと広いところで泳ぎたくて、ひとりで鼻津浦まで歩いていって、だれもいない海で泳ぎました。今、考えると、こわいですけどね」と、笑顔で話してくれました。

 『人なし島』の中には、泳ぎは得意ではなかったかもしれませんが、海岸でひとり楽しい空想をしている、かわいいテルちゃんがいます。又、本好きなテルちゃんも目に見えるようです。暑さがきびしくなります。熱中症に気をつけて、楽しい夏をお過ごし下さい。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


朝顔の蔓

平成25年7月21日

 垣がひくうて
 朝顔は、
 どこへすがろと
 さがしてる。

 西もひがしも
 みんなみて、
 さがしあぐねて
 かんがえる。

 それでも
 お日さまこいしゅうて、
 きょうも一寸
 また伸びる。

 伸びろ、朝顔、
 まっすぐに、
 納屋のひさしが
 もう近い。

 

                                            

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

  みすゞさんの童謡を口づさむと、心がしゃきっとすることが、よくあります。

 「朝顔の蔓」も、その一つです。

 「伸びろ、朝顔、/まっすぐに、/納屋のひさしが/もう近い。」と、口づさむと暑さでだらけた心とからだが、しゃきっとします。

 ところで、太陽はものすごく熱いものと考えていましたが、じつは人間の方がずっと熱いという話をききました。人間と、人間と同じ大きさの太陽の部分を比べると、一日に人間がだすエネルギーは百ワット。太陽は百分の一ワットなのだそうです。

 ですから、人間は同じ大きさの太陽より、一万倍もエネルギー、熱を放出しているのだそうです。

 生命の力って、すごいですね。

  夏休みも、もうすぐ。館にはたくさんの方がおいでくださいます。おいでくださる方も、館のスタッフも、熱中症に気をつけて、楽しい夏を過ごしたいと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


王子山

平成25年6月9日

 公園になるので植えられた、
 桜はみんな枯れたけど、

 伐られた雑木の切株にゃ、
 みんな芽が出た、芽が伸びた。

 木の間に光る銀の海、
 わたしの町はそのなかに、
 龍宮みたいに浮んでる。

 銀の瓦と石垣と、
 夢のようにも、霞んでる。

 王子山から町見れば、
 わたしは町が好きになる。

 干鰮のにおいもここへは来ない、
 わかい芽立ちの香がするばかり。

 

                                            

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 王子山から見る仙崎の町は、今も美しい。海岸線に防波堤はできましたが、町全体の姿はみすゞが見た町と同じ姿を見せてくれます。

 みすゞ、本名テルちゃんは、この町で金子家の「宝者」「お宝さん」として、大切に育てられました。

 自分の家族の「宝者」「お宝さん」と、言葉できちんと言ってもらえると、自分という存在が、どんなに大切か深くわかるので、他の人にも、やさしくなれるのです。

 先日、千葉県のある小学校でお話をした時、「私は『宝者』と言われることはないですが、『家の花』と言われたことがあります。」と五年生の少女から手紙をもらいました。

 「家の花」 いい言葉ですね。字もきちんときれいで、家庭の様子が見えるようでした。

 言葉には色があります。私たちは誰もが、言葉という絵の具を持った絵書きです。うれしい色をたくさん使って、自分とまわりの人を倖せ色にぬりたいですね。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


明るい方へ

平成25年5月9日

 明るい方へ、
 明るい方へ。

 一つの葉でも、
 陽の洩るとこへ。

 藪かげの草は。

 明るい方へ
 明るい方へ。

 翅は焦げよと
 灯のあるとこへ。

 夜飛ぶ虫は。

 明るい方へ
 明るい方へ。

 一分もひろく
 日の射すとこへ。

 都会に住む子等は。

 

                                            

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 記念館の感想ノートを拝見すると、いつも記念館があってよかったなと思います。

 来館された喜びのことばに私たちが励まされます。又、館においで下さってみすゞさんに向かい合い、心を支えられた方々のことばに心を打たれます。

 「なみだで見えぬ、みすゞの詩は、立ち止まって待ちましょう、心の傷から出るなみだ、ゆっくり止まるまで、明るい方に」

 「先週、心が折れてしまうことがあり、母が亡くなる一年前にきた記念館に来ました。今日も、心が少し丸くなりました」

 「心の病を患っていますが、ここに来たらみんな何かしら事情を抱えて生きていると思え、明るくなりました。又、きます」

 元気な方も、さびしい方も、つらい思いの方も、それぞれに大好きなみすゞさんに出合い、少しでも「明るい方へ」と思っていただける金子みすゞ記念館であり続けたいと、開館11年目、改めて強く思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


草原の夜

平成25年4月8日

 ひるまは牛がそこにいて、
 青草たべていたところ。

 夜ふけて、
 月のひかりがあるいてる。

 月のひかりのさわるとき、
 草はすっすとまた伸びる、
 あしたも御馳走してやろと。

 ひるま子供がそこにいて、
 お花をつんでいたところ。

 夜ふけて、
 天使がひとりあるいてる。

 天使の足のふむところ、
 かわりの花がまたひらく、
 あしたも子供に見せようと。

                                            

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞ記念館は4月11日で、開館11年目に入りました。この10年で約128万人もの方をお迎えでき、心よりお礼申し上げます。

 「草原の夜」を読むと、みすゞさんは月のひかりや天使のような人だなぁと思います。

 牛に食べられた青草が、もう伸びるのやめよう、お花も、もうひらくのやめようと思ってもいいのです。

 でも、月のひかりや天使に出合った青草やお花は、そこで立ち止まらずに、また伸びて、あしたも御馳走してやろうと、あしたも子供に見せようと、前向きに、うれしい方に、明るい方に変えることが出来るのです。

 みすゞさんの詩を読むと、大事なことを思い出して、明るい方に、うれしい方に、やさしい方に、まなざしを変えられるようにです。

 美しい行為や、美しい行為を呼ぶのですね。

 今年は、みすゞ生誕110年の年でもあります。

 この記念すべき一年、たくさん出合いがありますよう、館員一同お待ちしています。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


大漁

平成25年3月8日

 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の
 大漁だ。

 浜はまつりの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう。

                                            

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 『大漁』に初めて出合ってから、もう47年になります。「日本童謡集」(岩波文庫)の中で、この一編を読んだ時、他の詩人のすべての作品が消えてしまうほどの衝撃でした。

 人間中心、自分中心のまなざしを完全にひっくり返されました。それは多分、私だけではなくて、この一編に出合った人の共通の思いではないでしょうか。

 今年は生誕百十年の年、そして、今月十日は八十三回目の命日になります。全国から百人以上の人が集まり、前日はみすゞコスモス交流会をふるさとの人と一緒に行ないます。

 命日の午後は、広崎芳次さん、佐治晴夫さん、武鹿悦子さん、あまんきみこさん、なかえよしをさんとの『私の中のみすゞを語る』というみすゞスペシャルトークも行なわれます。

 もう一度、改めてみすゞさんの作品を読んで、まなざしを変える喜びと楽しさを、充分に味わう一年にしたいと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


夜ふけの空

平成25年2月7日

 人と、草木のねむるとき、
 空はほんとにいそがしい。

 星のひかりはひとつずつ、
 きれいな夢を背に負い、
 みんなのお床へとどけよと、
 ちらちらお空をとび交うし、
 露姫さまは明けぬまに、

 町の露台のお花にも、
 お山のおくの下葉にも、
 残らず露をくばろうと、
 銀のお馬車をいそがせる。

 花と、子供のねむるとき、
 空はほんとにいそがしい。

                                            

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 「人と、草木がねむるとき、/空をほんとにいそがしい。」

 今、「人」という字が、とても気になっています。

 「人」は小学校一年生で習う字で、だいたいは、人と人が支えあっている、または人の姿を字にした文字ですと教えているようです。

 私はその上で、小学生には、「お父さん、お母さん二人がいて、あなたという人が生まれた、と考えてくれるといいな」と話します。男性と女性の二人がいて初めて、一人のあなたという「人」が生まれたのです。こんなあたり前のことが、「人」という文字を見ていると、心に響きます。そして、もう一つ――「あなたと私」二人いて「人」なのです。

 その一人をいじめたり、傷つけることは、「人」という文字が成り立たないので、人をやめたことにもなるのです。

 「人」という文字一つでも、いろいろなことが考えられる、みすゞさんの魅力です。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


障子

平成25年1月5日

 お部屋の障子は、ビルディング。

 しろいきれいな石づくり、
 空まで届く十二階、
 お部屋のかずは、四十八。

 一つの部屋に蠅がいて、
 あとのお部屋はみんな空。

 四十七間の部屋部屋へ、
 誰がはいってくるのやら。

 ひとつひらいたあの窓を、
 どんな子供がのぞくやら。

 ――窓はいつだか、すねたとき、
    指でわたしがあけた窓。

 ひとり日永にながめてりゃ、
 そこからみえる青空が、
 ちらりと影になりました。

                                            

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 一枚の障子をビルディングに見立てて、単なる空想ではなく、蝿がとまっていることや、指でやぶいた場所を上手に取り入れることで、きちんとしたリアリズムを持って、読み手の私たちに具体的に一枚の映像にしているところがみごとです。

 「ひとり日永にながめてりゃ、/そこからみえる青空が、/ちらりと影になりました。」

 すうっと雲が流れていったのですね。

 今年一年、大切な人、大切なこと、大切な生き方をまっすぐに心に置いて、みすゞ道を豊かに歩いていける、そんな一年でありますように、全国のみすゞさんを大好きなみなさんと共に進んでいきたいと強く願っています。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


去年

平成24年12月13日

 お舟、みたみた、
 お正月、元旦、
 旗も立てずに黒い帆あげて、
 ここの港を出てゆく舟を。

 お舟、あの舟、
 乗ってるものは、
 きょうの初日に追い立てられた、
 ふるい去年か、去年か、そうか。

 お舟、ゆくゆく、
 あのゆく先に、
 去年のあがる港があるか、
 去年を待って、たあれか居るか。

 去年、みたみた、
 お正月、元旦、
 黒い帆かけたお舟に乗って、
 西へ西へと逃げてく影を。

 

                                            

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞさんは三冊の清書をした童謡集を西條八十氏に、弟の雅輔さんには第三童謡集「さみしい王女」は原本のまま、三冊の童謡集を残しました。この「さみしい王女」には、中に「註△印は、なほしてよくなれば入れる。×印は、けづつてしまふもの」と記されていて、△は25編、×は24編あります。

 これは、西條八十に清書する時のめやすなのでしょう。だとすると、少なくとも×の24編は、西條八十は読むことが出来なかったということです。ところが、×印の詩も、それぞれになかなかいいものです。

 12月の詩は、その中の一つ「去年」です。

 お正月、元旦のはなやかな喜びの一日に、「旗も立てずに黒い帆あげて、/ここの港を出てゆく舟を。」と、去りゆく去年に心に寄せているのです。さすがみすゞさんです。

 忙しい暮れに向かいます。こんな時こそ、時々は立ち止まって、誰かに、何かに心を寄せる自分でありたいと深く思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫

  

平成24年11月5日

 お花が散って
 実が熟れて、

 その実が落ちて
 葉が落ちて、

 それから芽が出て
 花が咲く。

 そうして何べん
 まわったら、
 この木は御用が
 すむかしら。

                                            

 

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 没後80年『金子みすゞ展』も、下関を最後に無事に終了しました。毎日新聞社を始め、JULA出版局等、すべての関係者のみなさまに心からお礼申し上げます。

 このみすゞ展の63人のお一人に外松太恵子先生がいらっしゃいます。この外松先生からおききしたお話です。

 あるセンターにみすゞさんの『木』を大きく書いて下さいと頼まれ、書かれました。

 飾ると、五歳の男の子が長い間、じっとその書を見ていたのです。あんまり長く見ているので、「どうしたの?」と外松先生が尋ねると、「この詩、蕾がぬけてるよ」

 その子がいうには、「芽が出て、蕾ができて、花が咲く」のだそうです。でも、みすゞさんの詩に蕾を足すわけにいきません。そこで外松先生、書の空間に、蕾の絵を描いてあげて、その子もにっこり。

 大人は子どものベテランで、子どもは大人の新人だと、にこにこしてしまいました。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 

土と草

平成24年10月16日

 母さん知らぬ
 草の子を、
 なん千万の
 草の子を、
 土はひとりで
 育てます。

 草があおあお
 茂ったら、
 土はかくれて
 しまうのに。

                                            

 

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 大人は、子どものベテラン。子どもは、大人の新人だと、いつも思っています。つい大人の新人の時を忘れがちなので、それを思い出させてくれる小学生にお話をするのが大好きです。

 『土と草』を読んで、「いっぱいの草と書かずに”なん千万の”と書いたのは、草の子一本一本を大切に思うみすゞさんのやさしさを感じます」と、お手紙をくれた小学生君がいました。

 日々是好日を、(ひび)と読むか、(にちにち)と読むかでかんじがちがいますねと、小学生君に教えられた気がします。

 いち日、いち日と読むと、晴れた日も、くもりの日も、雨の日も、風の日も、それぞれが好き日なのですね。ひびになると、いっぱいの草と同じで、ひとまとまりに感じてしまいます。

 一本一本、一日一日をしっかりと見て、生きていきたいと新人君の言葉で思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 

石ころ

 

 きのうは子供を
 ころばせて
 きょうもお馬を
 つまずかす、
 あしたは誰が
 とおるやら。

 田舎のみちの
 石ころは、
 赤い夕日に
 けろりかん。

                                            

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 9月29日から10月28日まで、ルネッサながとで、みすゞさんとみつをさんのコラボレーション「詩人の魂 相田みつをと金子みすゞの世界」が開催されます。これは昨年の12月から3ヵ月、東京有楽町の相田みつを美術館で行なわれたものの長門市版です。

 それぞれの作品一点一点では見えてこなかったり、気づけなかった二人の共通点がはっきり見えてくる、すばらしいコラボです。

 みすゞさんが『石ころ』で、「きのうは子供を/ころばせて」とうたい、みつをさんは、「つまずいたって/いいじゃないか」とうたいます。

 つまづくこと一つでも、みすゞさんは、「赤い夕日に/けろりかん。」と、つまづくこと自分を一切衆生悉有仏性のまなざしで、けろりかんと開放し、みつをさんは、「にんげんだもの」と、自分に深く佇む。

 二人のコラボは、想像以上に豊かで、おもしろい世界を見せてくれます。

 是非おでかけくださるとうれしいです。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 

お勘定

 

 空には雲がいま二つ、
 路には人がいま五人。

 ここから学校へゆくまでは、
 五百六十七足あって、
 電信柱が九本ある。

 私の箱のなんきん玉は、
 二百三十あったけど、
 七つはころげてなくなった。

 夜のお空のあの星は、
 千と三百五十まで、
 かぞえたばかし、まだ知らぬ。

 私は勘定が大好き。
 なんでも、勘定するよ。

 

                                            

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすず記念館は、8月24日、120万人の来館者をお迎えすることができました。受付けや書籍販売の係の人たちは、直接、120万人もの方と出合えたということですから、そう考えただけですごいなと思います。

 記念館におでかけくださいました、すべての皆さんに心よりお礼申し上げます。

 お勘定好きのみすゞさんにならって勘定すると、8月は開館9年ヵ4月、112ヵ月目です。毎月約10,714人もの方がおいでくださったことになり、本当にありがたいです。

 ところで、開館1年目より今の1年がどんどん速く過ぎていくように感じるのは、1年目が56才で、今は65才なので、私の1年の速さは1/56から1/65にスピードアップしているからでしょう。このスピードは毎年加速するだけですから、楽しいこと、うれしいことは「あとで」と考えずに、「今がその時」と考えて、スピードアップする1年を、かろやかに過ごしたいと記念の日に改めて思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 

花火

 

 あがる、あがる、花火、
 花火はなにに、
 やなぎと毬に。

 消える、消える、花火、
 消えてはなにに、
 見えない国の花に。

                                            

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 夏の夜空は花火大会の花火で大忙しです。

 シューという音と共に大空へあがり、ドドーンと大きな毬が生まれ、見上げている人の顔もぱっと明るくして、柳になって消えていきます。でも、みすゞさんの『花火』は、そこで終わりではないのです。

 「消える、消える、花火、/消えてはなにに、/見えない国の花に。」

 見えるものが、見えてなくなるということは、消えてなくなった訳ではなく、見えない国へ移ったということなのですね。

 亡くなった人も、消えてなくなったのではなく、見えない国へ移ったということでしょう。そして、思い出すことで、いつも自分の中で生きているということでもあるです。

 まだまだ暑い日が続きます。でも、暑いからといいながらも、35度、36度と、それだけの暑い熱を発散して、私たちは生きているということも、思い出してくださるとうれしいです。

 夏はいらいらと気づかせてくれます。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 

星とたんぽぽ

平成24年7月9日

 青いお空の底ふかく、
 海の小石のそのやうに、
 夜がくるまで沈んでる、
 昼のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

 散つてすがれたたんぽぽの、
 瓦のすきに、だァまつて、
 春のくるまでかくれてる、
 つよいその根は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

                                            

 

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 みすゞさんが書いたのは、リズムのある詩、読む人に絵が見えるようにうたう詩-童謡です。だから、声に出して読んでくださるのが一番、みすゞさんに近づく方法です。

 この『星とたんぽぽ』も、声に出して読んでみて下さい。きっと目で文字を追うよりも、心にしみ込んでくることでしょう。

 心に深くしみ込んでくれるので、固まった心が、傷ついた心が少しずつ、やわらかく、優しくなれるのだと思うのです。

 それは、悲しみ、辛さ、苦しさ、不安に出合うと、人は自分側からだけでしか考えられなくなってしまうのです。でも、みすゞさんの童謡を声に出して読むと、自分側だけからしか考え、見ることができなかった心が、ふと、離れて、少しずつ、少しずつ、ゆっくりとまわりを見ることができるようになるのです。「私とあなたから、あなたと私に」一方的だったことがこだまし合うようになれるのです。本当にうれしいみすゞさんです。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

お菓子

平成24年6月20日

 いたずらに一つかくした
 弟のお菓子。
 たべるもんかと思ってて、
 たべてしまった、
 一つのお菓子。

 母さんが二つッていったら、
 どうしよう。

 おいてみて
 とってみてまたおいてみて、
 それでも弟が来ないから、
 たべてしまった、
 二つめのお菓子。

 にがいお菓子、
 かなしいお菓子。

 

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 「お菓子」を読むと、宇宙物理学者の佐治晴夫先生の『14歳のための時間論』(春秋社)の中にある「以前、小さい子どもに、『神さまはどこにいるの?」と聞かれた時の文章を思い出します。

 「そのとき、苦し紛れに、こんなふうに答えた記憶があります。

 『もし、こっそり、誰にも知られないように、何か悪いことをしたとしましょう。そんなとき、「見つかったらどうしよう」・・・って心配になるでしょう。なぜでしょう?

 それはね、きっと、神さまは、あなたの心の中に住んでいて、じっと見ているからじゃないのかな』」

 私の大好きなお話の一つです。

 おいしいお菓子が、「にがいお菓子、/かなしいお菓子。」になるのは、善なる存在が私たちの中にいてくださるからですね。

 「天知る、地知る、我が知る」という言葉も、この詩にそっと添えて読んでいます。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

明るい方へ

平成24年3月19日

 明るい方へ、
 明るい方へ。

 一つの葉でも、
 陽の洩るとこへ。

 藪かげの草は。

 明るい方へ
 明るい方へ。

 翅は焦げよと
 灯のあるとこへ。

 夜飛ぶ虫は。

 明るい方へ
 明るい方へ。

 一分もひろく
 日の射すとこへ。

 都会に住む子等は。

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 三月九~十三日まで仙台三越で「震災復興特別企画・金子みすゞ展」が開催されました。この展覧会は、金子みすゞ顕彰会、金子みすゞ著作保存会、スペースみすゞコスモス、全国の二十七のみすゞ会、大塚家具、角川春樹事務所等の協賛をいただいて行なわれました。

 会場には宮城県内はもちろん、岩手県、福島県からもおでかけくださり、五日間で一万八千人を大きく上回りました。

 確実にみすゞさんの詩が日本中の人の心に届いていることを強く感じます。

 記念館も三月の年度末までには、十五万人ものお客さまをお迎えできるようです。

 三月十~十一日、長門と仙台をインターネットで結んでのみすゞさんの五百十二編を読む試みも、遠く藤沢、横浜、埼玉からも仙台会場にきてくださり感激しました。

 東日本大震災の翌年の今年、一人ひとりが「明るいほうへ/明るい方へ。」と、うれしい方へ、やさしい方へおもいを飛ばしたいです。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

れんげ

平成24年2月3日

 ひィらいた
 つゥぼんだ、
 お寺の池で
 れんげの花が。

 ひィらいた
 つゥぼんだ、
 お寺の庭で
 手つないだ子供。

 ひィらいた
 つゥぼんだ、
 お寺のそとで
 お家が、町が。

 

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 こだまでしょうか募金で、すでに三県の千五百校以上に、みすゞさんの詩集などを贈っています。あと四百校ほどです。

 詩集のお礼を下さった中の十校ほどに、九月と先月出前にうかがってきました。その時のかわいいお話を一つ。

 少し講演会が続いていたので、「今日は声があれていて、聞きずらいかもしれませんが」といって、お話をさせてもらいました。

 数日後、記念館にとどいた生徒さんのお手紙の中に、前出のことばに対して、おもわずにこにこしてしまう一通がありました。

 「先生はお話をはじめる前に、『今日は声があれているので』とおっしゃった時、私は思いました。『ああ、今日のために、きのう一生懸命練習したんだな』と」

 『れんげ』で、「ひィらいた/つゥぼんだ」と口づさんだとたん、れんげの花が、お友だちが、家や町までが、うれしくこだましてくれるように、善意で、あたたかいこだまのお手紙でした。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


こぶとり -おはなしのうたの一-

平成24年1月10日

 正直爺さんこぶがなく、
 なんだか寂しくなりました。
 意地悪爺さんこぶがふえ、
 毎日わいわい泣いてます。

 正直爺さんお見舞いだ、
 わたしのこぶがついたとは、
 やれやれ、ほんとにお気の毒、
 も一度、一しょにまいりましょ。

 山から出て来た二人づれ、
 正直爺さんこぶ一つ、
 意地悪爺さんこぶ一つ、
 二人でにこにこ笑ってた。

 

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 新しい一年が始まりました。

 金子みすゞ記念館は、今年も一月二日から開館、480人を越えるたくさんの方においでをいただき、うれしい始まりとなりました。ありがとうございます。

 昨年の十二月十三日から始まった、東京・有楽町の相田みつを美術館でのコラボも、大変順調です。コラボによって、思いもかけない発見があり、とてもすてきな展示です。

 どうぞ、こちらへもおでかけ下さい。

 みすゞさんの『こぶとり』を読むと、いつも思い出す言葉があります。

 「人間と動物の一番の大きな違いは、人間は辛いこと、苦しいことに出合っても、それをしあわせな方向に変える力を持っていることです」という、ダライ・ラマ法王の言葉です。

 「なんだか寂しくなりました。」「毎日わいわい泣いてます。」の二人が、「二人でにこにこ笑ってた。」に、日本中の人がなれるような一年に、みんなでしたいと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


こだまでしょうか

平成23年12月9日

 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。

 

 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。

 

 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。

 

 そうして、あとで
 さみしくなって、

 

 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。

 

 こだまでしょうか、
 いいえ、誰でも。

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 2011年も、残すことわずかになりました。冬の到来と共に、一段と寒さが厳しくなりました。それでも、心は温かく、やさしい気持ちで一日一日を過ごしたいと思います。

 『こだまでしょうか』によって、こだまし合うことの大切さを、改めて深く思います。

 小さい人たちが、「おはようございます」とあいさつをしてくれた時、「おはようございます」と、きちんとこだませる大人でありたいと思います。「おはよう」は、上から見おろした言葉です。大人が「おはよう」と答えた時に、大人は言葉をへらすものだ、と小さい人は思うでしょう。言葉の短縮化は思考の短縮化につながります。

 大人がきちんと「おはようございます」とこだましてくれた時、小さい人たちはどんなにうれしいことでしょう。

 今年一年コラムをお読み下さり、ありがとうございます。来年がより心やさしい一年でありますように、心から願っています。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


昼の月

平成23年10月26日

 しゃぼん玉みたいな
 お月さま、
 風吹きゃ、消えそな
 お月さま。

 いまごろ
 どっかのお国では、
 砂漠をわたる
 旅びとが、
 暗い、暗いと
 いってましょ。

 白いおひるの
 お月さま、
 なぜなぜ
 行ってあげないの。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 昼の月を見るけると、「あっ、昼の月だ。しゃぼん玉みたいだな」と、うれしくなって、ここで止まってしまいます。

 でも、みすゞさんは、「いまごろ/どっかのお国では、/砂漠をわたる/旅びとが、/暗い、暗いと/いってましょ。」と、自分側だけでなく、すぐに相手側、むこう側にまなざしを向けることが出来たのです。

 この、自分側と相手側、両方に佇むことで、初めて大切なこと、真理、真実に出合えるのでしょう。

 「心で見なければ何も見えないよ」と、『星の王子さま』でサン・テグジュペリは語っていますが、この心で見るとは、こちらとあちら、両方から見ること、といっていいかもしれません。

 私は今、昼の月を見つけると、「反対側はまっくらなんだ」と、すぐ考えるよう意識しています。これ、みすゞさん体験をしたい方へのお薦めです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


蓮と鶏

平成23年9月29日

 泥のなかから  
 蓮が咲く。

 それをするのは  
 蓮じゃない。

 卵のなかから
 鶏が出る。

 それをするのは
 鶏じゃない。

 それに私は
 気がついた。

 それも私の
 せいじゃない。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 本当にそうですね。誰一人、何一つ自分だけで生きているものはありません。私の中にいる、何か尊い存在、あなたという存在がいてくれて、生かさせていただいているのです。

 その証拠に、あなたは自分のものだと思っている、あなたの心臓ですら、わずか三秒でも止めることができますか。

 できませんね。では、あなたの心臓は誰が動かしているのでしょうか。私という器に入ってくれた、いのちです。このいのちは私一人のいのちではありません。両親の、両親のその又、両親の・・・と、受け継がれてきたいのちです。

 ところが、先日、大分県宇佐の小学五年生が、もっとすごいことを教えてくれました。

 「ちがうよ、食べたいのちだよ」

 本当に、本当にそうだったのですね。

 私のいのちは、他のいのちによって生かされていたのです。この小学生くんのことばは深く、強く、私の心に染みました。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


おさかな

平成23年8月14日

 海の魚はかわいそう。

 お米は人につくられる、  
 牛は牧場で飼われてる、
 鯉もお池で麩を貰う。
 
 けれども海のおさかなは、
 なんにも世話にならないし、
 いたずらひとつしないのに、
 こうして私に食べられる。

 ほんとに魚はかわいそう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞさんは、「私とあなた」ではなくて、「あなたと私」と考えた人です。どちらも同じく大切と考えた人です。こんな話をしてから、「私たちの中にも、『あなたと私』がいます。皆さんは自分の心臓を3秒だけ止めることが出来ますか。できませんね。では心臓は誰が動かしているのでしょうか。私ではありません。私以外の誰かです。

 では、その誰かはだれでしょう。

 と尋ねると、最終的には、「私のいのち」という答えにたどり着きます。尋ねた私自身も、ここで終わっていたのですが、先日、私が考えてもいなかったびっくりするような答えを言ってくれた小学5年生の男の子がいました。

 「食べたいのちです」

 そうなんですね。私のいのちは食べたいのちによって生かされていたんですね。

 私の心臓は、私が食べたいのちによって動かされていたのです。

 今、「おさかな」が深く心にしみます。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

藪蚊の唄

平成23年7月10日

 ブーン、ブン、
 木陰にみつけた、乳母車、
 ねんねの赤ちゃん、かわいいな、
 ちょいとキスしよ、頬っぺたに。

 アーン、アン、
 おやおや、赤ちゃん泣き出した、
 お守どこ行た、花つみか、
 飛んでって告げましょ、耳のはた。

 パーン、パン、
 どっこい、あぶない、おお怖い、
 いきなりぶたれた、掌のひらだ、
 命、ひろうたぞ、やあれ、やれ。

 ブーン、ブン、
 藪のお家は暗いけど、
 やっぱりお家へかえろかな、
 かえって、母さんとねようかな。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 蚊にさされる季節になりました。一匹の蚊の吸う血の量は、吸われる私にはあまり問題はないのですが、お礼にかゆさを置いていくのがいけません。又、そっと静かに訪ねてくるのなら気づかずにすむのに、ブーンとびっくりするほどの音をたててくるのです。蚊と人間の関係がもっと友好的にならないものかと、いつもこの時期になると思います。

 みすゞさんの『藪蚊の唄』を読むと、みすゞさんはすごいなと思います。こんなにかわいらしく、藪かをうたうのですから。

 そして、もう一つ。やっぱりみすゞさんはすごいなと深く思います。

 生きるということは、自分の思い通りに生きたいのに、どうにもならないことの連続なのですね、この藪蚊のように。

 だからこそ、ほかのいのちによって、生かされている私は、一つまなざしを広げると、この世の縁の中で、生かされている私だったのです。みすゞさんの詩は、発見の連続です。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


私と小鳥と鈴と

平成23年6月10日

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のように、
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 『私と小鳥と鈴と』で、みすゞさんは“お空はちっとも飛べないが、”“きれいな音は出ないけど、”と、自分に出来ないことからうたっています。

 「出来ることと出来ないこと」と、つい私たちは思いがちですが、これでは出来ないことは劣っていることと考えてしまいます。自分が出来ることを出来ない人を見ると、劣っているとすら考えてしまうのです。

 でも、みすゞさんは、「出来ないことと出来ること」と考える人なのです。こう考えると、出来ることがとてもすばらしいことになるのです。

 同じように、「見えるものと見えないもの」と考えがちですが、「見えないものと見えるもの」と、一度、自分の考え方、見方をひっくり返すと、気づけることがたくさんあります。

 こんなみすゞさん体験を、楽しんでくださるとうれしいです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


浜の石

平成23年4月11日

 浜辺の石は玉のよう、
 みんなまるくてすべっこい。

 浜辺の石は飛び魚か、
 投げればさっと波を切る。

 浜辺の石は唄うたい、
 波といちにち唄ってる。

 ひとつびとつの浜の石、
 みんなかわいい石だけど、

 浜辺の石は偉い石、
 皆して海をかかえてる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 四月十一日は、金子みすゞさんの百八回目の誕生日です。平成十五年に開館した金子みすゞ記念館も九年目に入り、来月には百万人目のお客さまを迎えることになります。

 これは、みすゞさんを大切にしてくださる全国のみなさまのおかげと、心より感謝申し上げます。

 東日本大震災から一ヶ月がたちましたが、今なお多くの方が戦後最大の困難に直面されています。支援・募金活動が各分野で行なわれているなかで、私たちに何ができ、何をすべきかを考え、学校でみすゞさんの詩に出合う人たちの心の、たとえ小さくとも支えとなり、あかりとなれることができればと考え、被災地の小・中学校等にみすゞさんの詩集を届ける、金子みすゞ募金を始めることにしました。

 浜の石が皆して海をかかえるように、みんなで手をつないで東日本の少年少女の心をかかえることができたら、うれしいです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


こだまでしょうか

平成23年3月20日

 「遊ぼう」っていうと

 「遊ぼう」っていう。

 

 「馬鹿」っていうと

 「馬鹿」っていう。

 

 「もう遊ばない」っていうと

 「遊ばない」っていう。

 

 そうして、あとで

 さみしくなって、

 

 「ごめんね」っていうと

 「ごめんね」っていう。

 

 こだまでしょうか、

 いいえ、誰でも。

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 東北から関東にかけて、大きな地震にみまわれました。これを読まれる方の中にも、直接、間接に、非常なる悲しみを受けておられる方がいらっしゃることでしょう。

 民放では、「こだまでしょうか」が、繰り返し流されています。今、悲しみ、苦しみを受けていらっしゃる方々のお心にとどいて、少しでも励ましになってくれることを心より願っています。

 仏教には、「代受苦者」(だいじゅくしゃ)ということばがあるそうです。

 私が受けたかもしれない苦しみを、代わりに受けてくださった人、ということでしょう。永観堂の法主さまからお聴きした時、深く心にしみました。

 自分のこととして受けとめ、出来ることを少しでも始めていきましょう。そして、なにより、こういう時だからこそ、私たち一人ひとりが、きちんと日々を過ごすことで、しっかりとこだまし合いたいと強く思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


角の乾物屋の-わがもとの家、まことにかくありき-

平成23年2月18日

 角の乾物屋の
 塩俵、
 日ざしがかっきり
 もう斜。

 二軒目の空屋の
 空俵、
 捨て犬ころころ
 もぐれてる。

 三軒目の酒屋の
 炭俵、
 山から来た馬
 いま飼葉。

 四軒目の本屋の
 看板の、
 かげから私は
 ながめてた。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 二月二日から十四日まで、東京日本橋の三越で、金子みすゞ展が行なわれ、同時に三百枚ものメッセージをいただきました。深く心にしみるものばかりですが、今回は『角の乾物屋の』の前のみすゞ通りについての藤原昭夫さんの一枚をご紹介させていただきます。

   みすゞさんのふるさと、仙崎に
    人影少ない通りがある。
    どこにみすゞさんが
    いるのかと、家を見ると
    いました、いました。
    鰯も鯨もにわとりも
    それぞれみんな軒先に
    ぶらさがって生きていた。
    風にゆられてゆーらゆら
    四角い大きな短冊に
    みんなそれぞれ生きていた。
    みすゞ通りは
    賑やかだ。

 メッセージにみすゞ通りが喜んでいますね。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


早春

平成23年1月4日

 飛んで来た
 毬が、
 あとから子供。

 浮いている
 凧が、
 海から汽笛。

 飛んで来た
 春が、
 きょうの空 青さ。

 浮いている
 こころ、
 遠い月 白さ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 毎年、お正月になると、「おめでとうございます」と、すがすがしい気持ちでいいます。

 その度に、私は地球くんのことを思いだして、心の中で次のように付け加えます。

 「誰一人お手伝いをしないのに、一年間、太陽さんのまわりを無事に、ぐるっと一回まわってくれて、本当にありがとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします」と。

 これほど、おめでたいことはありませんね。

 「早春」ということばも、地球くんが太陽さんのまわりを回ってくれるおかげで、生まれたのです。それだけではありません。地球くんが約二、三度ほど傾いて、太陽さんのまわりを回ってくれているおかげで、日本には四季があるのです。私たちは地球君の中でも、特別席にすわっているのです。うれしいですね。

 本年がみなさまにとって、「明るい方へ」と向かう年でありますように願っています。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


林檎畑

平成22年12月8日

 七つの星のそのしたの、
 誰も知らない雪国に、
 林檎ばたけがありました。

 垣もむすばず、人もいず、
 なかの古樹の大枝に、
 鐘がかかっているばかり。

    ひとつ林檎をもいだ子は、
    ひとつお鐘をならします。

    ひとつお鐘がひびくとき、
    ひとつお花がひらきます。

 七つの星のしたを行く、
 馬橇の上の旅びとは、
 とおいお鐘をききました。

 とおいその音をきくときに、
 凍ったこころはとけました、
 みんな泪になりました。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 新しい一月の前に、十二月があるっていいな、といつも思います。宗教行事としてとは別に、やさしい気持ちになれる、クリスマスがあるからでしょう。そんなやさしい気持ちになれて、新年を迎えられるのは、とってもうれしいことです。

 みすゞさんは、『林檎畑』の中で、“ひとつ林檎をもいだ子は、/ひとつお鐘をならします。//ひとつお鐘がひびくとき、/ひとつお花がひらきます。”と、うたっています。

 古樹の大枝に、鐘がかかっているとは、そのことは、太古の昔からの人としての有様、ということでしょう。そして、林檎とは、だれかからいただいた、うれしい思いということでもあるでしょう。

 たくさんの方、物、存在から、たくさんのうれしさをいただきながら、忘れがちな日々の中で、十二月になると、そうだ、鐘をならさなくてはと思います。「今年もありがとうございます」と、鐘をたくさんならします。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


水と影

平成22年11月2日

 お空のかげは、
 水のなかにいっぱい。

 お空のふちに、
 木立もうつる、
 野茨もうつる。
   水はすなお、
   なんの影も映す。

 水のかげは、
 木立のしげみにちらちら。

 明るい影よ、
 すずしい影よ、
 ゆれてる影よ。
   水はつつましい、
   自分の影は小さい。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 秋晴れの空を見あげると、体の芯まで青空にそまっていくようで、うれしくなります。

 こんな時、『水と影』の中の二行、「水はすなお、/なんの影も映す。」と、よく口ずさみます。水は相手を選ぶことなく、すべてをありのままに、なんの影も映すのです。

 では、その水の影は?と考えた時、みすゞさんは誰も考えもしなかった、すごい発見をしたのです。

 影が日の光によって生まれたのなら、日の光を反射して生まれた、あのちらちらと明るい、あれが水の影だ!と。

 影は暗いものだとしか考えられない人には、決して出来ない、コペルニクス的発見です。

 「明るい影よ、/すずしい影よ、/ゆれてる影よ。/水はつつましい、/自分の影は小さい。」

 年を重ねるごとに青空にそまるだけでなく、ちらちらと明るい影を、まわりの人に手渡すことのできる自分になりたいと思います。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


花のお使い

平成22年10月1日

 白菊、黄菊、
  雪のような白い菊。
  月のような、黄菊。

 たあれも、誰も、みてる、
  私と、花を。
       (菊は、きィれい、
        私は、菊を持ってる、
       だから、私はきィれい。)

 叔母さん家は遠いけど、
  秋で、日和で、いいな。
  花のお使い、いいな。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 『花のお使い』を読むと、うれしい気持ちになります。とくに、「叔母さん家は遠いけど/秋で、日和で、いいな。/花のお使い、いいな。」と声にだして読むと、心の底から、本当に、いいなぁと思えます。それは、この行の前に、美しい三段論法があるからです。

 (菊は、きィれい、/私は菊を持ってる、/だから、私はきィれい。)

 (だから、私はきィれい。)と、言い切っていることが、すごいですね。

 一輪の花でも、私をきれいにしてくれる力を持っているのです。そして、あなたも又、誰かの一輪の花なのです。

 先日、知人からテレビで聴いたことばですと、教えてくれたのが、「他人の過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

 (だから、私は、きィれい。)、自分と未来は変えられる。

 実りの秋を、うれしいことばで胸をいっぱいにして、過ごしたいと思います。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


平成22年9月1日

 空の山羊追い
 眼にみえぬ。

 山羊は追われて
 ゆうぐれの、
 曠野のはてを
 群れてゆく。

 空の山羊追い
 眼にみえぬ。

 山羊が夕日に
 染まるころ、
 とおくで笛を
 ならしてる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 秋は空からやってきます。地上はまだ暑くても、空にはうろこ雲がよく浮ぶようになりました。夕日に輝くうろこ雲は、とくに美しいです。そんな時、“空の山羊追い/眼にみえぬ。”と、いつもみすゞさんの『風』を口づさみます。

 山羊追いは眼には見えないけれど、山羊たちは迷うことなく、群れて帰っていくのです。それは、山羊たちだれもが、山羊追いは眼には見えないけれど、いつも必ず自分たちのそばにいてくれる、と信じているからです。

 「百匹の羊のうち、一匹が迷子になったら、羊飼いはあとの九十九匹を置いてでも、迷子の一匹を探しにいく」と、聖書のマタイ伝十八章にありますが、九十九匹の羊は羊飼いがそこにいなくても、いつもいると信じているから置いていけたのですね、そのことに気づかないから一匹は迷子になったのです。

 時々、空を見上げて下さい。うろこ雲を見つけると、なつかしい気持ちになりますよ。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


雲のこども

平成22年8月11日

 風の子供のいるとこに、
 波の子供はあそびます。

 波の大人のいるとこにゃ、
 風も大人がいるのです。

 だのに、お空を旅してる、
 雲のこどもはかわいそう。

 大人の風につれられて、
 いきをきらしてついてゆく。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 残暑お見舞申し上げます。

 おかげさまで、この夏もたくさんの方が記念館をおたずねくださって、館員一同、うれしい思いでいっぱいです。今回初めて、みすゞ検定を企画し、親子で取り組んでいる姿を拝見すると、なんともほほえましく、倖せな気持ちになります。

 そんな親子の姿を見ると、いつも『雲のこども』の詩を思い出して、胸の奥がチクリと痛みます。それは、幼い息子と手をつないで歩いているときに、“大人の風につれられて/いきをきらしてついてゆく”状態の自分がいたからです。つい自分の速度で歩いていて、近所のおじさんに、「せっちゃん、もう少しゆっくり歩いておやりよ。坊やが宙に浮いているよ」といわれたからです。

 みすゞさんは、「子がしてくれた親」、親と子というまなざしだったから、優しい詩が書けたのです。親と子と考えていた自分が、とても恥ずかしいです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


椅子の上

平成22年7月1日

 岩の上、

 まわりは海よ、

 潮はみちる。

 

 おおい、おおい、

 沖の帆かげ。

 呼んでも、なお、

 とおく、とおく。

 

 日はくれる、

 空はたかい、

 潮はみちる・・・・・・。

   (もういいよ、ごはんだよ。)

 あ、かあさんだ。

 椅子の岩から

 いせいよく、

 お部屋の海に

 とびおりる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 もうすぐ夏休み。青い海と青い空は、夏の仙崎によく似合います。

 『椅子の上』を読むと、海岸で遊ぶだけでなく、家の中でも、海遊びをしている幼いテルちゃんがいます。

 ロビンソン・クルーソーを絵本の中で知っていたのでしょう。難破した船をはなれて、一人きりで無人島にたどりついた、ロビンソン・テルがここにいます。「おおい、おおい、/沖の帆かげ。/呼んでも、なお、/とおく、とおく。」

 そんなロビンソン・テルを救ってくれたのはお母さんの声です。(もういいよ、ごはんだよ。)

 おおいと呼んだテルちゃんに、台所のお母さんは、きっと、(まあだだよ)と何度も答えてくれたのでしょう。だから、(もういいよ。)で完結したのです。文字には書いてないけれど、いつもいつもテルちゃんの方に心を向けているお母さんの声がきこえてきます。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 


みそはぎ

 

平成22年6月1日

 ながれの岸のみそはぎは、

 誰も知らない花でした。

 

 ながれの水ははるばると、

 とおくの海へゆきました。

 

 大きな、大きな、大海で、

 小さな、小さな、一しづく、

 誰も、知らないみそはぎを、

 いつもおもって居りました。

 

 それは、さみしいみそはぎの、

 花からこぼれた露でした。

 

  『金子みすゞ全集』(JULA出版局)                           

 「大きな、大きな、大海で、/小さな、小さな、一しづく、//誰も、知らないみそはぎを、/いつもおもつて居りました。」

 みすゞさんは、「みんなの中の私」というまなざしを、きちんと持っている人でした。

 自分の発言を、つい「私たち」といってしまったり、「みんなしてますよ」といわれると、自分で判断することなく、やってしまいがちな自分が恥ずかしくなります。

 『みそはぎ』を読むと、人を想うということは、こんなにもはるばるとした、深いことなんだ、と心打たれます。

 以前、中国四川省の大地震でご両親を亡くした小学生の心のケアーに、中国版のみすゞさんの詩が使われていて、『みそはぎ』を読んで、「みそはぎのこぼした一つぶの露のように、わたしもお父さん、お母さんのことはけして忘れません」と書いてくれた小学生がいました。悲しみの心を丸ごと受け入れて、みすゞさんの詩は、広がっています。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

とんび

平成22年5月1日

 とんびとろとろ

 輪を描いた。

 あの輪のまん中

 さがしたか。

 

 海なら鰮が十万よ、

 陸ならねずみが一ぴきよ。

 

 とんびとろとろ

 輪を描いた。

 その輪のまん中

 みあげたら、

 

 ぽっかり、まひるの

 お月さま。

 『金子みすゞ全集』(JULA出版局)                               

 漁師町仙崎には、とんびの鳴き声がよく似合います。

 毎月、記念館に帰る楽しみの一つは、とんびの声をきくことです。ピーヒョロロローと、はるか天空からふってくるようにきこえる鳴き声は、一筋の光になって、きいている私の体をつきぬけます。まるで、自分までが透明な光にでもなったような、しあわせな一瞬です。

 ゆっくりと、輪を描いているとんびには、鰮もねずみも見えるのでしょう。目がいいとんびのことですから、仙崎の町の人、旅人と見分けがついているのかもしれません。

 そう思うと、町の人にとっても、旅人にとっても、うれしい出合いの鳴き声です。

 記念館には、今年もつばめが帰ってきました。そろそろ子育てにも入るでしょう。

 五月のさわやかな風の中に、みすゞさんのきいたとんびの声をききに、仙崎にいらっしゃってください。

 

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


げんげ

平成22年4月1日

 雲雀聴き聴き摘んでたら、
 にぎり切れなくなりました。

 持ってかえればしおれます、
 しおれりゃ、誰かが捨てましょう。
 きのうのように、芥箱へ。

 私はかえるみちみちで、
 花のないとこみつけては、
 はらり、はらりと、撒きました。
 ――春のつかいのするように。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 一年の暦の中で、新しい一年が始まる一月と、新しい年度が始まる四月、二つも新しいということばがつく月があるのは、それだけでもうれしいですね。

 とくに四月は、気候もあたたかくなって、れんげや菜の花が咲き、沈丁花のあまい香りまでして、その上、桜がまん開と、温度だけでなく、色と香りで、うれしい気持ちが広がります。

 新入生、新社会人、そして新しい職場へと、それぞれの希望に向って歩きだす四月です。誰の上にも、しあわせな一年でありますよう強く願っています。

 金子みすず記念館も四月十一日で、八年目に入ります。二月に九十万人のお客様をお迎えでき、百万人に向かっての一年です。秋には名古屋で「金子みすず展-みんなちがって、みんないい。」が開かれます。

 ――春のつかいのするように。

 そんな記念館でありたいと、館員一同心を新たにしています。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


土曜日曜

平成22年3月1日

  土曜は葉っぱ
  日曜は花よ。

  柱ごよみの
  葉っぱをちぎる、
  土曜の晩は
  たのしいものよ。

  お花はじきに
  しぼむものよ。

  柱ごよみの
  お花をちぎる、
  日曜の晩は
  さみしいものよ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 春に向かって、一月から二月へ、二月から三月へとカレンダーをめくるのは、楽しいものです。その度に、カレンダーと一緒に、こちらも着ているものを一枚ずつとって、軽装になれるので、心まで軽やかになってきます。
 二月から三月へとカレンダーをめくる時なんて、その一瞬、ふっと沈丁花の香りさえするようで、うれしい気持ちになれます。
 カレンダーをめくるのだってそうなのですから、日めくりはもっとワクワクするだろうな、と思いながら、全集の『さびしい王女』を見ていたら、ありました。ありました。
 みすゞさんに、『土曜日曜』という題の日めくりのうたが!

 「土曜は葉っぱ/日曜は花よ。」

 なんと的確な表現なのでしょうか。その日のうれしさと、去る日のさびしさが見事に歌われています。日めくりをする人の気持ちを、このように歌える、みすゞさんはさすがですね。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


雪に

平成22年2月1日

   海にふる雪は、海になる。
   街にふる雪は、泥になる。
   山にふる雪は、雪でいる。

   空にまだいる雪、
   どォれがお好き。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 「海になる」「泥になる」「雪でいる」、「空にまだいる雪、/どォれがお好き。」と、みすゞさんは問いかけています。
 みなさんは、どれがお好きでしょうか。
  以前、「雨はいろいろな所にふるけど、うんこの上におちる雨、かわいそう」という幼い人のことばを読んだことがあります。
 雨から考えると、ホントにそうです。
  でも、うんこ側から考えると、持ち主がそこに置いていっただけで、本人は動けないのです。その時、ふってきた雨のおかげで、分解し、地面にしみこんで、木や草を育てる栄養になれるのです。
  一見、かわいそうに思えることでも、見方を広げると、大きな役に立っている喜びに変えることができるのです。
  海になれる雪はいいです。雪でいられる雪もいいです。泥になる雪はいやですが、泥の中から美しいはすの花は咲くのです。
  こう思うと、それぞれにすてきです。

                         金子みすゞ記念館 矢崎節夫


明るい方へ

平成22年1月1日

   明るい方へ
   明るい方へ。

   一つの葉でも
   陽の洩るとこへ。

   藪かげの草は。

   明るい方へ
   明るい方へ。

   翅は焦げよと
   灯のあるとこへ。

   夜飛ぶ虫は。

   明るい方へ
   明るい方へ。

   一分もひろく
   日の射すとこへ。

   都会に住む子等は。


『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 ”明るい方へ/明るい方へ”と、声に出して読むと、こころが明るくなります。

 明るい所にいる時に、もっと明るい方へ行きたいと思うのが、私たちでしょう。みすゞさんだって、きっとそうなのです。

 でも、ちょっと違うのは、その時にも、みすゞさんは影の中に、今、いる人のことを忘れない人でした。いえいえ、影だけでなく、藪かげの草や、夜飛ぶ虫さえもです。

 新しい一年が始まりました。

 昨年、うれしいことが多かった方には、今年もそうであることを、又、こころと体が辛い一年であられた方には、今年こそ明るい方へ行かれますことをこころから願っています。

 太田浩子さんの「父太宰治と母太田静子」という副題のついた最新著の題が、この「明るい方へ」です。みすゞさんが大好きでつけられたそうです。きっと太田さんも明るい方へ、新しい出発をされたのですね。

                              金子みすゞ記念館 矢崎節夫


昼の月

平成21年10月5日掲載

   しゃぼん玉みたいな
   お月さま、
   風吹きゃ、消えそな
   お月さま。

   いまごろ
   どっかのお国では、
   砂漠をわたる
   旅人が、
   暗い、暗いと
   いってましょ。

   白いおひるの
   お月さま、
   なぜなぜ
   行ってあげないの。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞさんは、見えることと見えないこと、この世はすべて二つで一つだということを、きちんと知っている人でした。このまなざしがなければ、『大漁』の“海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。”は書けません。

 『昼の月』を読むと、やはりハッとさせられます。

 この作品を読むまで、昼の月を見て、「あっ、昼の月だ」とか、「白くて、こわれそうだな」と、しばらく見上げることはありましたが、一度も、地球の反対側にいる、月のない夜を過ごしている、人や動物たちのことを考えたことはありませんでした。

 でも、みすゞさんは、“いまごろ/どっかのお国では、/砂漠をわたる/旅びとが、/暗い、暗いと/いってましょ。”と、歌っているのです。

 何時でも、何を見ても、きちんと二つで一つに佇めるみすゞさんのように、大切なことを忘れないで日々を過ごしたいと思います。

                            金子みすゞ記念館 矢崎節夫


みんなを好きに

平成21年8月6日掲載

   私は好きになりたいな、
   何でもかんでもみいんな。

   葱も、トマトも、おさかなも、
   残らず好きになりたいな。

   うちのおかずは、みいんな、
   母さまがおつくりなったもの。

   私は好きになりたいな、
   誰でもかれでもみいんな。

   お医者さんでも、烏でも、
   残らず好きになりたいな。

   世界のものはみィんな、
   神さまがおつくりなったもの。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 『金子みすゞ全集』がJULA出版局から出版されて、今年で25周年になります。これを記念して、子どもから大人まで読める伝記『みんなを好きに 金子みすゞ物語』を出版しました。

 『みんなを好きに』という題にしたのは、みすゞさんの一生は、まわりのすべてに佇み、好きになり、大切にした人だからです。

 それでもまだ、「みんなを好きになりたいな」と歌い、成り切れない自分がいると気づいていることが、みすゞさんのすごさです。

 振り返って自分を考えると、「みんなを好きになりたいな」とさえ、思っていない自分がいます。だから、あの人好き、あの人嫌いといってしまうのです。

 せっかく、みすゞさんに出合えたのです。心も身も開放される夏です。この夏のはればれとした空のように、心の中にしっかりと「みんなを好きになりたいな」と、うれしい言葉を何度もなん度も、こだましたいと思います。

 

                        金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

蝉のおべべ(2)

平成21年6月25日掲載

   母さま、
   裏の木のかげに、
   蝉のおべべが
   ありました。

   蝉も暑くて
   脱いだのよ、
   脱いで、忘れて
   行ったのよ。

   晩になったら
   さむかろに
   どこへ届けて
   やりましよか。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 夏ももうすぐです。金子みすゞ記念館のある仙崎の町にも、蝉のぬけがらを見つけることができるようになります。

 みすゞさんの詩を読むと、みすゞさんは言葉を広げるように使うことができた人だ、といつも感動します。この『蝉のおべべ』もそうです。

 「母さま、/裏の木のかげに、/蝉のおべべが/ありました。」という幼子の言葉に、「おべべではありません。ぬけがらです。」と答えたら、母と子の会話はここで終わってしまいます。そこを、「蝉も暑くて/脱いだのよ、/脱いで、忘れて/行ったのよ。」と、幼子の言葉をきちんと受けて、広げてこだましてくれたので、その後の幼子のやさしい言葉が生まれたのです。

 今、私自身も、そんな大人でありたいと強く思います。

 

                          金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

ながい夢

平成20年12月1日掲載


 きょうも、きのうも、みんな夢、
 去年、一昨年、みんな夢。

 ひょいとおめめがさめたなら、
 かわい、二つの赤ちゃんで、
 おっ母ちゃんのお乳をさがしてる。

 もしもそうなら、そうしたら、
 それこそ、どんなにうれしかろ。

 ながいこの夢、おぼえてて、
 こんどこそ、いい子になりたいな。

 

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)

 

 

 『ながい夢』を読むたびに、みすゞさんはすごいな、と思います。

 「こんどこそ、いい子になりたいな」と、みすゞさんがうたっているからです。

 充分すぎるほど、いい子だったみすゞさんが、それでもまだ「いい子になりたい」といっているのです。「いい子になれない」自分を、みすゞさんは知っているのです。

 このことが、すごいな、と思います。

 「いい子ではない」私も、ときどきは「いい子になりたい」と思うことがあります。

 それはみすゞさんの作品に出合って、すこし心がゆらいで、幼い頃、祖母や母から「いい子だね」といって褒めてもらったことばを、以前より思い出しやすくなったからでしょう。

 「いい子だね」といってくれる大人がいたから、「いい子になりたい」と思えるのでしょう。未来の大人である幼い人たちに、きちんといってあげられる自分でいたいと思います。

 

                           金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

 

仔牛(べえこ)

平成20年10月15日掲載


  ひい、ふう、みい、よ、踏切で、
  みんなして貨車をかずえてた。
  いつ、むう、ななつ、八つめの、
  貨車に仔牛はのっていた。


  売られてどこへゆくんだろ、
  仔牛ばかしで乗っていた。


  夕風つめたい踏切で、
  皆して貨車をみおくった。


  晩にゃどうしてねるんだろ、
  母さん牛はいなかった。


  どこへ仔牛はゆくんだろ、
  ほんとにどこへゆくんだろ。

 

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)

 

 

 「どこへ仔牛はゆくんだろ、/ほんとにどこへ行くんだろ」

 『仔牛』を読むたびに、この最後の二行が深くわたしのこころに響きます。

 

  われわれは何処から来たのか

  われわれは何者か

  われわれは何処へ行くのか

 

 ポール・ゴーギャンの最後の一枚の題だそうです。私たちは誰もが、生まれ、生き、去る存在です。「どこへ仔牛はゆくんだろ」と、うたったみすゞさんの思いは、そのまま仔牛と一緒に貨車に乗って行ったに違いありません。

 人は一人で生まれ、一人で去っていきます。でも、みすゞさんのように去りゆく人に自分の思いをずっと届けられる、そんな人でありたいと思います。

 

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

不思議

平成20年9月12日掲載

 

     私は不思議でたまらない、
     黒い雲からふる雨が、
     銀にひかっていることが。

     私は不思議でたまらない、
     青い桑の葉たべている、
     蚕が白くなることが。

     私は不思議でたまらない、
     たれもいじらぬ夕顔が、
     ひとりでぱらりと開くのが。

     私は不思議でたまらない、
     誰にきいても笑ってて、
     あたりまえだ、ということが。

 

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)

 

 

 みすゞさんは不思議がりのとても上手な人でした。いいえ、誰でも小さい時は、みんな不思議がりの天才でした。

 「どうして~なの」「なぜ~なの」と、大人の人にきいたものです。そんな時、きちんと答えてくれる大人の人に出合った時は、しあわせです。

 でも、自分自身を振り返ると、「そんなことあたりまえ」と、いってきたようにも思います。

 本当は、あたりまえのことを尋ねてくれたり、してみせてくれることは、「よく気がついたね」「すごいね」と、ほめる機会をたくさんくれている、ということなのです。

 「そんなことあたりまえ」と、ぽんと横に置いてしまうより、「すごいね」「えらいね」とほめてあげられる自分でいたい、と今思っています。あたりまえのことを、気づいたり、したりできるのは、やっぱりすてきなことなのですから。

 

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

平成20年6月29日掲載

   どこにだって私がいるの、
   私のほかに、私がいるの。

   通りじゃ店の硝子のなかに、
   うちへ帰れば時計のなかに。

   お台所じゃお盆にいるし、
   雨のふる日は、路にまでいるの。

   けれでもなぜか、いつ見ても、
   お空にゃ決していないのよ。

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)

 

 

 みすゞさんはコンパスのように、【自分を中心】にして、くるりくるりと回ることの出来る人でした。だから「どこにだって私がいるの」と気づけたのです。

 そして、ああ、そうか。私が私でおらしてくれているのは、私以外のすべての存在なんだ、と気がついたのです。つまり、そちらの私とこちらの私で、すべては成り立っているのです。

 【自分中心】と、【自分を中心】には似ているようですが、まったく違います。【自分中心】とは、自分を中心に置いて動かないということです。これだと、自分の見える範囲は決まってしまいますから、相手に対して、自分の見えるところまで動けと、相手に強いるのです。

 「どうして出来ない」「なぜ動かない」と。

 【自分を中心】にして、くるりくるりと回れる人になりたいと思います。きっと私たちのまわりには、うれしいことがたくさん待っていてくれるのですから。

 

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

燕の母さん

平成20年6月1日掲載

燕の母さん    ついと出ちゃ
    くるっとまわって
    すぐもどる。

    つういと
    すこうし行っちゃ
    また戻る。

    つういつうい、
    横町へ行って
    またもどる。

    出てみても、                   ▲記念館に巣をつくっている燕の親子
    出てみても、
    気にかかる、

    おるすの
    赤ちゃん
    気にかかる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 

 今年も仙崎に燕がやってきました。記念館にも二つの家族が巣立ちを待っています。

 ”ついと出ちゃ/くるっとまわって/すぐもどる”

 親燕を見ながら、みすゞさんが見た燕の子どもの子どもの子どもの…と思うと、【いのち】のつながりに感動しますし、今年もそのつながりが続いていることにうれしくもなります。

 燕の母さんは、【いのち】を授かったよろこびでいっぱいなのでしょう。でも万物の霊長といわれる私たち人間は、「そろそろ赤ちゃんをつくったら」というような言葉で【いのち】をつくれるものと考えちがいを始めたのかもしれません。つくった【いのち】だから、捨てたり、壊したりしがちなのでしょう。

 【いのち】はつくるものではなく、授かるものです。『燕の母さん』を読むと、深くこのことが心に届きます。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

  

空の鯉

平成20年4月25日掲載

空の鯉   お池の鯉よ、なぜ跳ねる。

   あの青空を泳いでる、
   大きな鯉になりたいか。 

   大きな鯉は、今日ばかり、
   明日はおろして、しまわれる。

   はかない事をのぞむより、
   跳ねて、あがって、ふりかえれ。

   おまえの池の水底に、
   あれはお空のうろこ雲。

   おまえも雲の上をゆく、
   空の鯉だよ、知らないか。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 五月の空にこいのぼりの鯉が泳ぎます。

 幼い日、仙崎の金子家の裏庭の空を、紙でつくったこいのぼりの鯉が気持ちよく泳いでいたことでしょう。 お兄さんの堅助さんと弟の正祐さんと一緒に、みすゞさんもまぶしいような気持ちで眺めたに違いありません。

  「こいのぼりの鯉はいいなぁ、あんなに自由に空を泳げて」と、つい自分より他の存在をうらやましく思いがちになるのが私たちです。でも、みすゞさんは『空の鯉』で、「おまえも雲の上をゆく、/空の鯉だよ、知らないか。』と歌ってくれたのです。

  まなざしを変えるだけで、あなたも私も空をゆく鯉なのだと。なんとうれしい私たちなのでしょう。五月五日が終わっても、私たちのこころの中で、空の鯉は泳いでいます。そんな気持ちで空を見上げてくださったらうれしいです。

 

金子みすゞ記念館館長  矢崎節夫

わらい

平成19年11月27日掲載

   それはきれいな薔薇いろで、
   芥子つぶよりかちひさくて、
   こぼれて土に落ちたとき、
   ぱつと花火がはじけるやうに、
   おほきな花がひらくのよ。

   もしも泪がこぼれるやうに、
   こんな笑ひがこぼれたら、
   どんなに、どんなに、きれいでせう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 みすゞさんの『わらい』ほど、美しくて、倖せなわらいを私は知りません。

 人間も動物も泣いたり笑ったりします。世界中の動物の中で、人間が一番泣いたり笑ったりするのが上手なのでしょう。こんなすてきな特徴をもらっているのに、いつの間にか回りを気にして、泣くことも笑うことも上手に出来なくなっているのが私たち人間かもしれません。

 いいえ、人間も動物もと書きましたが、本当は植物だって泣いたり笑ったりしているのかもしれません。いいえ、笑っているのですね。「ぱっと花火がはじけるように、おおきな花がひらくのよ」とみすゞさんはうたっています。人間の私も、自分らしく大きなわらいの花を咲かせたいと思います。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫

浜の石

平成19年7月17日掲載

   浜辺の石は玉のやう、
   みんなまるくてすべつこい。
   浜辺の石は飛び魚か、
   投げればさつと波を切る。

   浜辺の石は唄うたひ、
   波といちにち唄つてる。
   ひとつびとつの浜の石、
   みんなかはいい石だけど、
   浜辺の石は偉い石、
   皆して海をかかへてる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 金子みすゞさんのふるさと仙崎は仙崎湾と深川湾に囲まれた、小さな漁師町です。かつては今のみすゞ通りと呼ばれている大通りから右を見ても左を見ても、浜辺とそこに寄せてくる海が見えました。

 浜辺に立って海を見ると、私たちはつい大きな海に目も心もいっぱいになって、ほかのものは何も見えなくなってしまいます。「ああ、海って大きいな!すごいなあ!」と。

 でも、みすゞさんの『浜の石』を読むと、大きいものばかりに、目立つものばかりに目を向けがちな自分を、ふわっと解き放してくれるような喜びに出合えます。「そうか、そうなんだよね、一番大切なものを見なかったんだ」みすゞさんと一緒に、なんだかにこにこ倖せな気持ちになりますね。

金子みすゞ記念館館長    矢崎節夫

薔薇の根

平成19年3月28日掲載

  はじめて咲いた薔薇は
  紅い大きな薔薇だ。
    土のなかで根が思ふ
    「うれしいな、
    うれしいな。」

  二年めにや、三つ、
  紅い大きな薔薇だ。
    土のなかで根がおもふ
    「また咲いた、
    また咲いた。」

  三年めにや、七つ、
  紅い大きな薔薇だ。
    土のなかで根がおもふ
    「はじめのは
    なぜ咲かぬ。」

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 長門市仙崎にある金子文英堂(金子みすゞ記念館の一部として復元されました)の裏庭には、みすゞさんが見た薔薇が今も咲いています。この薔薇を見る度に、『薔薇の根』という作品を思い出します。はじめて花が咲いた時、土のなかで根は思うのです。「うれしいな、うれしいな」と。二年目に三つ咲くと、根は思うのです。「また咲いた、また咲いた」。三年目には七つも咲いたのです。「また咲いた、またまた咲いた」と喜んでいいはずなのに、”土のなかで根がおもふ/「はじめのは/なぜ咲かぬ。」と・・・。そうなのですね。私たちはつい数の多さに囚われて、初めて咲いた時の無心の喜びを忘れがちなのですね。

 記念館も五年目に入ります。初心を大切にしたいと思っています。どうぞおでかけ下さい。

金子みすゞ記念館館長    矢崎節夫

蝉のおべべ(1)

平成18年7月26日掲載

   母さま、
   裏の木のかげに、
   蝉のおべべが
   ありました。

   蝉も暑くて
   脱いだのよ、
   脱いで、忘れて
   行ったのよ。

   晩になったら
   さむかろに
   どこへ届けて
   やりましよか。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 金子みすゞさんの作品を読むと、いつもホッとして、しあわせな気持ちになります。それは、丸ごと受け入れて、こだましてくれる喜びに、誰もが出合えるからなのではないでしょうか。

 「蝉のおべべが/ありました。」という我が子に対するお母さんの言葉は、なんとやわらかく、うれしいのでしょうか。

「蝉も暑くて/脱いだのよ、/脱いで、忘れて/行ったのよ。」

 お母さんが我が子の言葉を丸ごと受け入れて、こだましてくれたおかげで、幼い子のこころにやさしさが生まれたのです。

 「晩になったら/さむかろに、/どこへ届けて/やりましょか」

金子みすゞ記念館館長    矢崎節夫

大漁

平成18年4月3日掲載

   朝燒小燒だ
   大漁だ
   大羽鰮の
   大漁だ。

   濱は祭りの
   やうだけど
   海のなかでは
   何萬の
   鰮のとむらひ
   するだらう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 春になると、私はいつもみすゞさんの『大漁』を思います。

 桜の花が咲き、散っていきます。その度に、人はつどい、そして去っていきます。春になると日本中どこでも見られる風景です。咲くいのちも、散るいのちです。つどうひともまた、いつかこの世を去っていきます。生と死、この二つは、じつは、二つで一つなのですね。

 「喜びと悲しみ」「目に見えるものと見えないもの」「生きることと死ぬこと」。すべては二つで一つなのです。「あなたと私」で一つなのです。このことに気づくと、自分中心のまなざしがちょっとゆらいで、ふっとやさしい気持ちになってきませんか。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫

星とたんぽぽ

平成17年5月10日掲載

   青いお空の底ふかく、
   海の小石のそのやうに、
   夜がくるまで沈んでる、
   昼のお星は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

   散つてすがれたたんぽぽの、
   瓦のすきに、だァまって、
   春がくるまでかくれてる、
   つよいその根は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 山口県長門市仙崎で生まれた金子みすゞ。みすゞは二十一世紀を生きる私たちに童謡という、誰にでもわかる言葉で大切なことをうたってくれた美しい童謡詩人です。

 「見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ」

 本当にそうですね。でも、日常の中ではつい忘れてしまって目に見えるものだけを見てしまいがちです。しかし、大切なものは、見えないけれどもあるのですね。  『星とたんぽぽ』を声に出して読むと、「あなたの中にも、このまなざしがなかったわけではないのです。思い出せばあるのです」と、すぐそばでみすゞさんがほほえんでいてくれているようで、うれしい気持ちになりませんか。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫


記念館職員の日記