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日露兵士の墓碑

<外部リンク> 印刷用ページを表示する 掲載日:2016年11月11日更新

長門市通の日露兵士の墓碑について

日露兵士の墓

 山口県長門市通(かよい)の日本海に面した「大越の浜(おおごしのはま)」には、「常陸丸遭難者の墓碑」と「露艦戦士の墓碑」の2基の墓碑が並べて建立されています。これらは明治時代、朝鮮と満州(中国東北部)の支配権を争って勃発した日露戦争にまつわるものです。

常陸丸(ひたちまる)遭難者の墓碑(右側)

  • 所在地 山口県長門市通 大越の浜常陸丸兵士の墓
  • 建立年 大正10年(1921年)
  • 総 高 141cm
  • 碑 身 高さ82cm 21cm×17cm角
  • 碑 文

〈正面〉日露戦役常陸丸遭難者の墓

〈右側〉日露の役帝国御用船常陸丸遭難ノ際船ト其運/命ヲ共ニセシ乗組員氏名不祥ノ屍當浦沖合ニ/漂流中明治三十七年六月二十二日君川亀太郎/拾揚ゲ村ニ於テ此地ニ埋葬ス

〈左側〉大正十年十二年建之 通 村

略記

 常陸丸(ひたちまる)は、長崎の三菱造船所で完成した日本最初の大型貨客船(6,172トン)で、明治37年2月、日露戦争開戦と同時に陸軍の御用船となった。同年6月15日、将兵ら千余人を乗せて戦場(中国)へ向かう途中、玄界灘でロシアの軍艦に砲撃されて沈没。多数の戦死者の遺体が通の沖合に流れてきたところ、出漁中の君川亀太郎が見つけて拾い上げ、村で丁重に葬った。墓碑は大正10年12月に当時の通村の手で建立された。

 

露艦戦士の墓碑(左側)

  • 所在地 山口県長門市通 大越の浜ロシア兵の墓碑
  • 建立年 昭和43年(1968年)
  • 総 高 152cm
  • 碑 身 高さ85cm 21cm×17cm角
  • 碑 文

〈正面〉日露戦役露艦戦士之墓

〈右側〉明治卅八年五月廿七日の日本海々戦にて多くの尊い人命/が失われた このとき当浦に漂着したロシア兵士数名の遺/体を葬り 恩讐を越えて 一仏浄土の思いで 回向し続け/て来たやさしい人情を偲び冥福を祈りて建立す

〈左側〉明治百年記念 昭和四十三年五月 長門市通尚寿会

略記

 明治38年5月27日、日本海軍の連合艦隊は、ロシア・バルチック艦隊を日本海対馬沖で迎え撃った。翌28日にわたって行われた数回の戦闘で、三十数隻のロシア艦隊は壊滅した(=日本海海戦)。この海戦で戦死した多くのロシア兵士の遺体が大越の浜に流れ着き、通の住民は手厚く埋葬した。墓碑は、最初自然石を置いただけのものであったが、昭和43年5月、明治維新100年を記念して、長門市通尚寿会(長門市老人クラブ連合会通支部)の手により、現在の御影石の墓に建て替えられた。

 

毎年6月15日に「日露兵士合同慰霊祭」を開催

 長門市老人クラブ通支部では、毎年常陸丸が沈没した6月15日を慰霊日と定め、長門市通の向岸寺(こうがんじ)で慰霊祭を開催しています。慰霊祭は当初、現地で行っていましたが、数年前から向岸寺で行うようになりました。写真は平成28年6月15日に行われた慰霊祭のようすです。敵味方の恩讐を越えて、亡くなった方々への供養と、二度と悲惨な戦争が起こらないよう平和を祈りました。その後、通くじら文化を継承する会により、大越の浜で墓碑周辺の草刈りや清掃活動が行われ、地元の通小学校の児童も清掃に参加しました。

日露兵士合同供養祭 日露兵士の墓碑清掃

パンフレットダウンロード

日露兵士の墓碑パンフレット(日本語版) [PDFファイル/629KB]

日露兵士の墓碑パンフレット(英語版) [PDFファイル/583KB]

 

 


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