金子みすゞ記念館
Kaneko Misuzu Memorial Museum
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明るい方へ

平成24年3月19日

 明るい方へ、
 明るい方へ。

 一つの葉でも、
 陽の洩るとこへ。

 藪かげの草は。

 明るい方へ
 明るい方へ。

 翅は焦げよと
 灯のあるとこへ。

 夜飛ぶ虫は。

 明るい方へ
 明るい方へ。

 一分もひろく
 日の射すとこへ。

 都会に住む子等は。

                                           『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 三月九〜十三日まで仙台三越で「震災復興特別企画・金子みすゞ展」が開催されました。この展覧会は、金子みすゞ顕彰会、金子みすゞ著作保存会、スペースみすゞコスモス、全国の二十七のみすゞ会、大塚家具、角川春樹事務所等の協賛をいただいて行なわれました。

 会場には宮城県内はもちろん、岩手県、福島県からもおでかけくださり、五日間で一万八千人を大きく上回りました。

 確実にみすゞさんの詩が日本中の人の心に届いていることを強く感じます。

 記念館も三月の年度末までには、十五万人ものお客さまをお迎えできるようです。

 三月十〜十一日、長門と仙台をインターネットで結んでのみすゞさんの五百十二編を読む試みも、遠く藤沢、横浜、埼玉からも仙台会場にきてくださり感激しました。

 東日本大震災の翌年の今年、一人ひとりが「明るいほうへ/明るい方へ。」と、うれしい方へ、やさしい方へおもいを飛ばしたいです。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

れんげ

平成24年2月3日

 ひィらいた
 つゥぼんだ、
 お寺の池で
 れんげの花が。

 ひィらいた
 つゥぼんだ、
 お寺の庭で
 手つないだ子供。

 ひィらいた
 つゥぼんだ、
 お寺のそとで
 お家が、町が。

                                           『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 こだまでしょうか募金で、すでに三県の千五百校以上に、みすゞさんの詩集などを贈っています。あと四百校ほどです。

 詩集のお礼を下さった中の十校ほどに、九月と先月出前にうかがってきました。その時のかわいいお話を一つ。

 少し講演会が続いていたので、「今日は声があれていて、聞きずらいかもしれませんが」といって、お話をさせてもらいました。

 数日後、記念館にとどいた生徒さんのお手紙の中に、前出のことばに対して、おもわずにこにこしてしまう一通がありました。

 「先生はお話をはじめる前に、『今日は声があれているので』とおっしゃった時、私は思いました。『ああ、今日のために、きのう一生懸命練習したんだな』と」

 『れんげ』で、「ひィらいた/つゥぼんだ」と口づさんだとたん、れんげの花が、お友だちが、家や町までが、うれしくこだましてくれるように、善意で、あたたかいこだまのお手紙でした。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


こぶとり −おはなしのうたの一−

平成24年1月10日

 正直爺さんこぶがなく、
 なんだか寂しくなりました。
 意地悪爺さんこぶがふえ、
 毎日わいわい泣いてます。

 正直爺さんお見舞いだ、
 わたしのこぶがついたとは、
 やれやれ、ほんとにお気の毒、
 も一度、一しょにまいりましょ。

 山から出て来た二人づれ、
 正直爺さんこぶ一つ、
 意地悪爺さんこぶ一つ、
 二人でにこにこ笑ってた。

                                           『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 新しい一年が始まりました。

 金子みすゞ記念館は、今年も一月二日から開館、480人を越えるたくさんの方においでをいただき、うれしい始まりとなりました。ありがとうございます。

 昨年の十二月十三日から始まった、東京・有楽町の相田みつを美術館でのコラボも、大変順調です。コラボによって、思いもかけない発見があり、とてもすてきな展示です。

 どうぞ、こちらへもおでかけ下さい。

 みすゞさんの『こぶとり』を読むと、いつも思い出す言葉があります。

 「人間と動物の一番の大きな違いは、人間は辛いこと、苦しいことに出合っても、それをしあわせな方向に変える力を持っていることです」という、ダライ・ラマ法王の言葉です。

 「なんだか寂しくなりました。」「毎日わいわい泣いてます。」の二人が、「二人でにこにこ笑ってた。」に、日本中の人がなれるような一年に、みんなでしたいと思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


こだまでしょうか

平成23年12月9日

 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。

 

 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。

 

 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。

 

 そうして、あとで
 さみしくなって、

 

 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。

 

 こだまでしょうか、
 いいえ、誰でも。

                                           『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 2011年も、残すことわずかになりました。冬の到来と共に、一段と寒さが厳しくなりました。それでも、心は温かく、やさしい気持ちで一日一日を過ごしたいと思います。

 『こだまでしょうか』によって、こだまし合うことの大切さを、改めて深く思います。

 小さい人たちが、「おはようございます」とあいさつをしてくれた時、「おはようございます」と、きちんとこだませる大人でありたいと思います。「おはよう」は、上から見おろした言葉です。大人が「おはよう」と答えた時に、大人は言葉をへらすものだ、と小さい人は思うでしょう。言葉の短縮化は思考の短縮化につながります。

 大人がきちんと「おはようございます」とこだましてくれた時、小さい人たちはどんなにうれしいことでしょう。

 今年一年コラムをお読み下さり、ありがとうございます。来年がより心やさしい一年でありますように、心から願っています。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


昼の月

平成23年10月26日

 しゃぼん玉みたいな
 お月さま、
 風吹きゃ、消えそな
 お月さま。

 いまごろ
 どっかのお国では、
 砂漠をわたる
 旅びとが、
 暗い、暗いと
 いってましょ。

 白いおひるの
 お月さま、
 なぜなぜ
 行ってあげないの。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 昼の月を見るけると、「あっ、昼の月だ。しゃぼん玉みたいだな」と、うれしくなって、ここで止まってしまいます。

 でも、みすゞさんは、「いまごろ/どっかのお国では、/砂漠をわたる/旅びとが、/暗い、暗いと/いってましょ。」と、自分側だけでなく、すぐに相手側、むこう側にまなざしを向けることが出来たのです。

 この、自分側と相手側、両方に佇むことで、初めて大切なこと、真理、真実に出合えるのでしょう。

 「心で見なければ何も見えないよ」と、『星の王子さま』でサン・テグジュペリは語っていますが、この心で見るとは、こちらとあちら、両方から見ること、といっていいかもしれません。

 私は今、昼の月を見つけると、「反対側はまっくらなんだ」と、すぐ考えるよう意識しています。これ、みすゞさん体験をしたい方へのお薦めです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


蓮と鶏

平成23年9月29日

 泥のなかから  
 蓮が咲く。

 それをするのは  
 蓮じゃない。

 卵のなかから
 鶏が出る。

 それをするのは
 鶏じゃない。

 それに私は
 気がついた。

 それも私の
 せいじゃない。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 本当にそうですね。誰一人、何一つ自分だけで生きているものはありません。私の中にいる、何か尊い存在、あなたという存在がいてくれて、生かさせていただいているのです。

 その証拠に、あなたは自分のものだと思っている、あなたの心臓ですら、わずか三秒でも止めることができますか。

 できませんね。では、あなたの心臓は誰が動かしているのでしょうか。私という器に入ってくれた、いのちです。このいのちは私一人のいのちではありません。両親の、両親のその又、両親の・・・と、受け継がれてきたいのちです。

 ところが、先日、大分県宇佐の小学五年生が、もっとすごいことを教えてくれました。

 「ちがうよ、食べたいのちだよ」

 本当に、本当にそうだったのですね。

 私のいのちは、他のいのちによって生かされていたのです。この小学生くんのことばは深く、強く、私の心に染みました。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


おさかな

平成23年8月14日

 海の魚はかわいそう。

 お米は人につくられる、  
 牛は牧場で飼われてる、
 鯉もお池で麩を貰う。
 
 けれども海のおさかなは、
 なんにも世話にならないし、
 いたずらひとつしないのに、
 こうして私に食べられる。

 ほんとに魚はかわいそう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞさんは、「私とあなた」ではなくて、「あなたと私」と考えた人です。どちらも同じく大切と考えた人です。こんな話をしてから、「私たちの中にも、『あなたと私』がいます。皆さんは自分の心臓を3秒だけ止めることが出来ますか。できませんね。では心臓は誰が動かしているのでしょうか。私ではありません。私以外の誰かです。

 では、その誰かはだれでしょう。

 と尋ねると、最終的には、「私のいのち」という答えにたどり着きます。尋ねた私自身も、ここで終わっていたのですが、先日、私が考えてもいなかったびっくりするような答えを言ってくれた小学5年生の男の子がいました。

 「食べたいのちです」

 そうなんですね。私のいのちは食べたいのちによって生かされていたんですね。

 私の心臓は、私が食べたいのちによって動かされていたのです。

 今、「おさかな」が深く心にしみます。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

藪蚊の唄

平成23年7月10日

 ブーン、ブン、
 木陰にみつけた、乳母車、
 ねんねの赤ちゃん、かわいいな、
 ちょいとキスしよ、頬っぺたに。

 アーン、アン、
 おやおや、赤ちゃん泣き出した、
 お守どこ行た、花つみか、
 飛んでって告げましょ、耳のはた。

 パーン、パン、
 どっこい、あぶない、おお怖い、
 いきなりぶたれた、掌のひらだ、
 命、ひろうたぞ、やあれ、やれ。

 ブーン、ブン、
 藪のお家は暗いけど、
 やっぱりお家へかえろかな、
 かえって、母さんとねようかな。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 蚊にさされる季節になりました。一匹の蚊の吸う血の量は、吸われる私にはあまり問題はないのですが、お礼にかゆさを置いていくのがいけません。又、そっと静かに訪ねてくるのなら気づかずにすむのに、ブーンとびっくりするほどの音をたててくるのです。蚊と人間の関係がもっと友好的にならないものかと、いつもこの時期になると思います。

 みすゞさんの『藪蚊の唄』を読むと、みすゞさんはすごいなと思います。こんなにかわいらしく、藪かをうたうのですから。

 そして、もう一つ。やっぱりみすゞさんはすごいなと深く思います。

 生きるということは、自分の思い通りに生きたいのに、どうにもならないことの連続なのですね、この藪蚊のように。

 だからこそ、ほかのいのちによって、生かされている私は、一つまなざしを広げると、この世の縁の中で、生かされている私だったのです。みすゞさんの詩は、発見の連続です。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


私と小鳥と鈴と

平成23年6月10日

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のように、
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 『私と小鳥と鈴と』で、みすゞさんは“お空はちっとも飛べないが、”“きれいな音は出ないけど、”と、自分に出来ないことからうたっています。

 「出来ることと出来ないこと」と、つい私たちは思いがちですが、これでは出来ないことは劣っていることと考えてしまいます。自分が出来ることを出来ない人を見ると、劣っているとすら考えてしまうのです。

 でも、みすゞさんは、「出来ないことと出来ること」と考える人なのです。こう考えると、出来ることがとてもすばらしいことになるのです。

 同じように、「見えるものと見えないもの」と考えがちですが、「見えないものと見えるもの」と、一度、自分の考え方、見方をひっくり返すと、気づけることがたくさんあります。

 こんなみすゞさん体験を、楽しんでくださるとうれしいです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


浜の石

平成23年4月11日

 浜辺の石は玉のよう、
 みんなまるくてすべっこい。

 浜辺の石は飛び魚か、
 投げればさっと波を切る。

 浜辺の石は唄うたい、
 波といちにち唄ってる。

 ひとつびとつの浜の石、
 みんなかわいい石だけど、

 浜辺の石は偉い石、
 皆して海をかかえてる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 四月十一日は、金子みすゞさんの百八回目の誕生日です。平成十五年に開館した金子みすゞ記念館も九年目に入り、来月には百万人目のお客さまを迎えることになります。

 これは、みすゞさんを大切にしてくださる全国のみなさまのおかげと、心より感謝申し上げます。

 東日本大震災から一ヶ月がたちましたが、今なお多くの方が戦後最大の困難に直面されています。支援・募金活動が各分野で行なわれているなかで、私たちに何ができ、何をすべきかを考え、学校でみすゞさんの詩に出合う人たちの心の、たとえ小さくとも支えとなり、あかりとなれることができればと考え、被災地の小・中学校等にみすゞさんの詩集を届ける、金子みすゞ募金を始めることにしました。

 浜の石が皆して海をかかえるように、みんなで手をつないで東日本の少年少女の心をかかえることができたら、うれしいです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


こだまでしょうか

平成23年3月20日

 「遊ぼう」っていうと

 「遊ぼう」っていう。

 

 「馬鹿」っていうと

 「馬鹿」っていう。

 

 「もう遊ばない」っていうと

 「遊ばない」っていう。

 

 そうして、あとで

 さみしくなって、

 

 「ごめんね」っていうと

 「ごめんね」っていう。

 

 こだまでしょうか、

 いいえ、誰でも。

                                           『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 東北から関東にかけて、大きな地震にみまわれました。これを読まれる方の中にも、直接、間接に、非常なる悲しみを受けておられる方がいらっしゃることでしょう。

 民放では、「こだまでしょうか」が、繰り返し流されています。今、悲しみ、苦しみを受けていらっしゃる方々のお心にとどいて、少しでも励ましになってくれることを心より願っています。

 仏教には、「代受苦者」(だいじゅくしゃ)ということばがあるそうです。

 私が受けたかもしれない苦しみを、代わりに受けてくださった人、ということでしょう。永観堂の法主さまからお聴きした時、深く心にしみました。

 自分のこととして受けとめ、出来ることを少しでも始めていきましょう。そして、なにより、こういう時だからこそ、私たち一人ひとりが、きちんと日々を過ごすことで、しっかりとこだまし合いたいと強く思います。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


角の乾物屋の−わがもとの家、まことにかくありき−

平成23年2月18日

 角の乾物屋の
 塩俵、
 日ざしがかっきり
 もう斜。

 二軒目の空屋の
 空俵、
 捨て犬ころころ
 もぐれてる。

 三軒目の酒屋の
 炭俵、
 山から来た馬
 いま飼葉。

 四軒目の本屋の
 看板の、
 かげから私は
 ながめてた。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 二月二日から十四日まで、東京日本橋の三越で、金子みすゞ展が行なわれ、同時に三百枚ものメッセージをいただきました。深く心にしみるものばかりですが、今回は『角の乾物屋の』の前のみすゞ通りについての藤原昭夫さんの一枚をご紹介させていただきます。

   みすゞさんのふるさと、仙崎に
    人影少ない通りがある。
    どこにみすゞさんが
    いるのかと、家を見ると
    いました、いました。
    鰯も鯨もにわとりも
    それぞれみんな軒先に
    ぶらさがって生きていた。
    風にゆられてゆーらゆら
    四角い大きな短冊に
    みんなそれぞれ生きていた。
    みすゞ通りは
    賑やかだ。

 メッセージにみすゞ通りが喜んでいますね。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


早春

平成23年1月4日

 飛んで来た
 毬が、
 あとから子供。

 浮いている
 凧が、
 海から汽笛。

 飛んで来た
 春が、
 きょうの空 青さ。

 浮いている
 こころ、
 遠い月 白さ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 毎年、お正月になると、「おめでとうございます」と、すがすがしい気持ちでいいます。

 その度に、私は地球くんのことを思いだして、心の中で次のように付け加えます。

 「誰一人お手伝いをしないのに、一年間、太陽さんのまわりを無事に、ぐるっと一回まわってくれて、本当にありがとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします」と。

 これほど、おめでたいことはありませんね。

 「早春」ということばも、地球くんが太陽さんのまわりを回ってくれるおかげで、生まれたのです。それだけではありません。地球くんが約二、三度ほど傾いて、太陽さんのまわりを回ってくれているおかげで、日本には四季があるのです。私たちは地球君の中でも、特別席にすわっているのです。うれしいですね。

 本年がみなさまにとって、「明るい方へ」と向かう年でありますように願っています。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


林檎畑

平成22年12月8日

 七つの星のそのしたの、
 誰も知らない雪国に、
 林檎ばたけがありました。

 垣もむすばず、人もいず、
 なかの古樹の大枝に、
 鐘がかかっているばかり。

    ひとつ林檎をもいだ子は、
    ひとつお鐘をならします。

    ひとつお鐘がひびくとき、
    ひとつお花がひらきます。

 七つの星のしたを行く、
 馬橇の上の旅びとは、
 とおいお鐘をききました。

 とおいその音をきくときに、
 凍ったこころはとけました、
 みんな泪になりました。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 新しい一月の前に、十二月があるっていいな、といつも思います。宗教行事としてとは別に、やさしい気持ちになれる、クリスマスがあるからでしょう。そんなやさしい気持ちになれて、新年を迎えられるのは、とってもうれしいことです。

 みすゞさんは、『林檎畑』の中で、“ひとつ林檎をもいだ子は、/ひとつお鐘をならします。//ひとつお鐘がひびくとき、/ひとつお花がひらきます。”と、うたっています。

 古樹の大枝に、鐘がかかっているとは、そのことは、太古の昔からの人としての有様、ということでしょう。そして、林檎とは、だれかからいただいた、うれしい思いということでもあるでしょう。

 たくさんの方、物、存在から、たくさんのうれしさをいただきながら、忘れがちな日々の中で、十二月になると、そうだ、鐘をならさなくてはと思います。「今年もありがとうございます」と、鐘をたくさんならします。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


水と影

平成22年11月2日

 お空のかげは、
 水のなかにいっぱい。

 お空のふちに、
 木立もうつる、
 野茨もうつる。
   水はすなお、
   なんの影も映す。

 水のかげは、
 木立のしげみにちらちら。

 明るい影よ、
 すずしい影よ、
 ゆれてる影よ。
   水はつつましい、
   自分の影は小さい。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 秋晴れの空を見あげると、体の芯まで青空にそまっていくようで、うれしくなります。

 こんな時、『水と影』の中の二行、「水はすなお、/なんの影も映す。」と、よく口ずさみます。水は相手を選ぶことなく、すべてをありのままに、なんの影も映すのです。

 では、その水の影は?と考えた時、みすゞさんは誰も考えもしなかった、すごい発見をしたのです。

 影が日の光によって生まれたのなら、日の光を反射して生まれた、あのちらちらと明るい、あれが水の影だ!と。

 影は暗いものだとしか考えられない人には、決して出来ない、コペルニクス的発見です。

 「明るい影よ、/すずしい影よ、/ゆれてる影よ。/水はつつましい、/自分の影は小さい。」

 年を重ねるごとに青空にそまるだけでなく、ちらちらと明るい影を、まわりの人に手渡すことのできる自分になりたいと思います。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


花のお使い

平成22年10月1日

 白菊、黄菊、
  雪のような白い菊。
  月のような、黄菊。

 たあれも、誰も、みてる、
  私と、花を。
       (菊は、きィれい、
        私は、菊を持ってる、
       だから、私はきィれい。)

 叔母さん家は遠いけど、
  秋で、日和で、いいな。
  花のお使い、いいな。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 『花のお使い』を読むと、うれしい気持ちになります。とくに、「叔母さん家は遠いけど/秋で、日和で、いいな。/花のお使い、いいな。」と声にだして読むと、心の底から、本当に、いいなぁと思えます。それは、この行の前に、美しい三段論法があるからです。

 (菊は、きィれい、/私は菊を持ってる、/だから、私はきィれい。)

 (だから、私はきィれい。)と、言い切っていることが、すごいですね。

 一輪の花でも、私をきれいにしてくれる力を持っているのです。そして、あなたも又、誰かの一輪の花なのです。

 先日、知人からテレビで聴いたことばですと、教えてくれたのが、「他人の過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

 (だから、私は、きィれい。)、自分と未来は変えられる。

 実りの秋を、うれしいことばで胸をいっぱいにして、過ごしたいと思います。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


平成22年9月1日

 空の山羊追い
 眼にみえぬ。

 山羊は追われて
 ゆうぐれの、
 曠野のはてを
 群れてゆく。

 空の山羊追い
 眼にみえぬ。

 山羊が夕日に
 染まるころ、
 とおくで笛を
 ならしてる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 秋は空からやってきます。地上はまだ暑くても、空にはうろこ雲がよく浮ぶようになりました。夕日に輝くうろこ雲は、とくに美しいです。そんな時、“空の山羊追い/眼にみえぬ。”と、いつもみすゞさんの『風』を口づさみます。

 山羊追いは眼には見えないけれど、山羊たちは迷うことなく、群れて帰っていくのです。それは、山羊たちだれもが、山羊追いは眼には見えないけれど、いつも必ず自分たちのそばにいてくれる、と信じているからです。

 「百匹の羊のうち、一匹が迷子になったら、羊飼いはあとの九十九匹を置いてでも、迷子の一匹を探しにいく」と、聖書のマタイ伝十八章にありますが、九十九匹の羊は羊飼いがそこにいなくても、いつもいると信じているから置いていけたのですね、そのことに気づかないから一匹は迷子になったのです。

 時々、空を見上げて下さい。うろこ雲を見つけると、なつかしい気持ちになりますよ。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


雲のこども

平成22年8月11日

 風の子供のいるとこに、
 波の子供はあそびます。

 波の大人のいるとこにゃ、
 風も大人がいるのです。

 だのに、お空を旅してる、
 雲のこどもはかわいそう。

 大人の風につれられて、
 いきをきらしてついてゆく。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 残暑お見舞申し上げます。

 おかげさまで、この夏もたくさんの方が記念館をおたずねくださって、館員一同、うれしい思いでいっぱいです。今回初めて、みすゞ検定を企画し、親子で取り組んでいる姿を拝見すると、なんともほほえましく、倖せな気持ちになります。

 そんな親子の姿を見ると、いつも『雲のこども』の詩を思い出して、胸の奥がチクリと痛みます。それは、幼い息子と手をつないで歩いているときに、“大人の風につれられて/いきをきらしてついてゆく”状態の自分がいたからです。つい自分の速度で歩いていて、近所のおじさんに、「せっちゃん、もう少しゆっくり歩いておやりよ。坊やが宙に浮いているよ」といわれたからです。

 みすゞさんは、「子がしてくれた親」、親と子というまなざしだったから、優しい詩が書けたのです。親と子と考えていた自分が、とても恥ずかしいです。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


椅子の上

平成22年7月1日

 岩の上、

 まわりは海よ、

 潮はみちる。

 

 おおい、おおい、

 沖の帆かげ。

 呼んでも、なお、

 とおく、とおく。

 

 日はくれる、

 空はたかい、

 潮はみちる・・・・・・。

   (もういいよ、ごはんだよ。)

 あ、かあさんだ。

 椅子の岩から

 いせいよく、

 お部屋の海に

 とびおりる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 もうすぐ夏休み。青い海と青い空は、夏の仙崎によく似合います。

 『椅子の上』を読むと、海岸で遊ぶだけでなく、家の中でも、海遊びをしている幼いテルちゃんがいます。

 ロビンソン・クルーソーを絵本の中で知っていたのでしょう。難破した船をはなれて、一人きりで無人島にたどりついた、ロビンソン・テルがここにいます。「おおい、おおい、/沖の帆かげ。/呼んでも、なお、/とおく、とおく。」

 そんなロビンソン・テルを救ってくれたのはお母さんの声です。(もういいよ、ごはんだよ。)

 おおいと呼んだテルちゃんに、台所のお母さんは、きっと、(まあだだよ)と何度も答えてくれたのでしょう。だから、(もういいよ。)で完結したのです。文字には書いてないけれど、いつもいつもテルちゃんの方に心を向けているお母さんの声がきこえてきます。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫

 


みそはぎ

 

平成22年6月1日

 ながれの岸のみそはぎは、

 誰も知らない花でした。

 

 ながれの水ははるばると、

 とおくの海へゆきました。

 

 大きな、大きな、大海で、

 小さな、小さな、一しづく、

 誰も、知らないみそはぎを、

 いつもおもって居りました。

 

 それは、さみしいみそはぎの、

 花からこぼれた露でした。

 

           『金子みすゞ全集』(JULA出版局)                           

 「大きな、大きな、大海で、/小さな、小さな、一しづく、//誰も、知らないみそはぎを、/いつもおもつて居りました。」

 みすゞさんは、「みんなの中の私」というまなざしを、きちんと持っている人でした。

 自分の発言を、つい「私たち」といってしまったり、「みんなしてますよ」といわれると、自分で判断することなく、やってしまいがちな自分が恥ずかしくなります。

 『みそはぎ』を読むと、人を想うということは、こんなにもはるばるとした、深いことなんだ、と心打たれます。

 以前、中国四川省の大地震でご両親を亡くした小学生の心のケアーに、中国版のみすゞさんの詩が使われていて、『みそはぎ』を読んで、「みそはぎのこぼした一つぶの露のように、わたしもお父さん、お母さんのことはけして忘れません」と書いてくれた小学生がいました。悲しみの心を丸ごと受け入れて、みすゞさんの詩は、広がっています。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


 

とんび

平成22年5月1日

 とんびとろとろ

 輪を描いた。

 あの輪のまん中

 さがしたか。

 

 海なら鰮が十万よ、

 陸ならねずみが一ぴきよ。

 

 とんびとろとろ

 輪を描いた。

 その輪のまん中

 みあげたら、

 

 ぽっかり、まひるの

 お月さま。

     『金子みすゞ全集』(JULA出版局)                               

 漁師町仙崎には、とんびの鳴き声がよく似合います。

 毎月、記念館に帰る楽しみの一つは、とんびの声をきくことです。ピーヒョロロローと、はるか天空からふってくるようにきこえる鳴き声は、一筋の光になって、きいている私の体をつきぬけます。まるで、自分までが透明な光にでもなったような、しあわせな一瞬です。

 ゆっくりと、輪を描いているとんびには、鰮もねずみも見えるのでしょう。目がいいとんびのことですから、仙崎の町の人、旅人と見分けがついているのかもしれません。

 そう思うと、町の人にとっても、旅人にとっても、うれしい出合いの鳴き声です。

 記念館には、今年もつばめが帰ってきました。そろそろ子育てにも入るでしょう。

 五月のさわやかな風の中に、みすゞさんのきいたとんびの声をききに、仙崎にいらっしゃってください。

 

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


げんげ

平成22年4月1日

 雲雀聴き聴き摘んでたら、
 にぎり切れなくなりました。

 持ってかえればしおれます、
 しおれりゃ、誰かが捨てましょう。
 きのうのように、芥箱へ。

 私はかえるみちみちで、
 花のないとこみつけては、
 はらり、はらりと、撒きました。
 ――春のつかいのするように。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 一年の暦の中で、新しい一年が始まる一月と、新しい年度が始まる四月、二つも新しいということばがつく月があるのは、それだけでもうれしいですね。

 とくに四月は、気候もあたたかくなって、れんげや菜の花が咲き、沈丁花のあまい香りまでして、その上、桜がまん開と、温度だけでなく、色と香りで、うれしい気持ちが広がります。

 新入生、新社会人、そして新しい職場へと、それぞれの希望に向って歩きだす四月です。誰の上にも、しあわせな一年でありますよう強く願っています。

 金子みすず記念館も四月十一日で、八年目に入ります。二月に九十万人のお客様をお迎えでき、百万人に向かっての一年です。秋には名古屋で「金子みすず展−みんなちがって、みんないい。」が開かれます。

 ――春のつかいのするように。

 そんな記念館でありたいと、館員一同心を新たにしています。

                       金子みすゞ記念館 矢崎節夫


土曜日曜

平成22年3月1日

  土曜は葉っぱ
  日曜は花よ。

  柱ごよみの
  葉っぱをちぎる、
  土曜の晩は
  たのしいものよ。

  お花はじきに
  しぼむものよ。

  柱ごよみの
  お花をちぎる、
  日曜の晩は
  さみしいものよ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 春に向かって、一月から二月へ、二月から三月へとカレンダーをめくるのは、楽しいものです。その度に、カレンダーと一緒に、こちらも着ているものを一枚ずつとって、軽装になれるので、心まで軽やかになってきます。
 二月から三月へとカレンダーをめくる時なんて、その一瞬、ふっと沈丁花の香りさえするようで、うれしい気持ちになれます。
 カレンダーをめくるのだってそうなのですから、日めくりはもっとワクワクするだろうな、と思いながら、全集の『さびしい王女』を見ていたら、ありました。ありました。
 みすゞさんに、『土曜日曜』という題の日めくりのうたが!

 「土曜は葉っぱ/日曜は花よ。」

 なんと的確な表現なのでしょうか。その日のうれしさと、去る日のさびしさが見事に歌われています。日めくりをする人の気持ちを、このように歌える、みすゞさんはさすがですね。

                        金子みすゞ記念館 矢崎節夫


雪に

平成22年2月1日

   海にふる雪は、海になる。
   街にふる雪は、泥になる。
   山にふる雪は、雪でいる。

   空にまだいる雪、
   どォれがお好き。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 「海になる」「泥になる」「雪でいる」、「空にまだいる雪、/どォれがお好き。」と、みすゞさんは問いかけています。
 みなさんは、どれがお好きでしょうか。
  以前、「雨はいろいろな所にふるけど、うんこの上におちる雨、かわいそう」という幼い人のことばを読んだことがあります。
 雨から考えると、ホントにそうです。
  でも、うんこ側から考えると、持ち主がそこに置いていっただけで、本人は動けないのです。その時、ふってきた雨のおかげで、分解し、地面にしみこんで、木や草を育てる栄養になれるのです。
  一見、かわいそうに思えることでも、見方を広げると、大きな役に立っている喜びに変えることができるのです。
  海になれる雪はいいです。雪でいられる雪もいいです。泥になる雪はいやですが、泥の中から美しいはすの花は咲くのです。
  こう思うと、それぞれにすてきです。

                         金子みすゞ記念館 矢崎節夫


明るい方へ

平成22年1月1日

   明るい方へ
   明るい方へ。

   一つの葉でも
   陽の洩るとこへ。

   藪かげの草は。

   明るい方へ
   明るい方へ。

   翅は焦げよと
   灯のあるとこへ。

   夜飛ぶ虫は。

   明るい方へ
   明るい方へ。

   一分もひろく
   日の射すとこへ。

   都会に住む子等は。


『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 ”明るい方へ/明るい方へ”と、声に出して読むと、こころが明るくなります。

 明るい所にいる時に、もっと明るい方へ行きたいと思うのが、私たちでしょう。みすゞさんだって、きっとそうなのです。

 でも、ちょっと違うのは、その時にも、みすゞさんは影の中に、今、いる人のことを忘れない人でした。いえいえ、影だけでなく、藪かげの草や、夜飛ぶ虫さえもです。

 新しい一年が始まりました。

 昨年、うれしいことが多かった方には、今年もそうであることを、又、こころと体が辛い一年であられた方には、今年こそ明るい方へ行かれますことをこころから願っています。

 太田浩子さんの「父太宰治と母太田静子」という副題のついた最新著の題が、この「明るい方へ」です。みすゞさんが大好きでつけられたそうです。きっと太田さんも明るい方へ、新しい出発をされたのですね。

                              金子みすゞ記念館 矢崎節夫


昼の月

平成21年10月5日掲載

   しゃぼん玉みたいな
   お月さま、
   風吹きゃ、消えそな
   お月さま。

   いまごろ
   どっかのお国では、
   砂漠をわたる
   旅人が、
   暗い、暗いと
   いってましょ。

   白いおひるの
   お月さま、
   なぜなぜ
   行ってあげないの。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 金子みすゞさんは、見えることと見えないこと、この世はすべて二つで一つだということを、きちんと知っている人でした。このまなざしがなければ、『大漁』の“海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。”は書けません。

 『昼の月』を読むと、やはりハッとさせられます。

 この作品を読むまで、昼の月を見て、「あっ、昼の月だ」とか、「白くて、こわれそうだな」と、しばらく見上げることはありましたが、一度も、地球の反対側にいる、月のない夜を過ごしている、人や動物たちのことを考えたことはありませんでした。

 でも、みすゞさんは、“いまごろ/どっかのお国では、/砂漠をわたる/旅びとが、/暗い、暗いと/いってましょ。”と、歌っているのです。

 何時でも、何を見ても、きちんと二つで一つに佇めるみすゞさんのように、大切なことを忘れないで日々を過ごしたいと思います。

                            金子みすゞ記念館 矢崎節夫


みんなを好きに

平成21年8月6日掲載

   私は好きになりたいな、
   何でもかんでもみいんな。

   葱も、トマトも、おさかなも、
   残らず好きになりたいな。

   うちのおかずは、みいんな、
   母さまがおつくりなったもの。

   私は好きになりたいな、
   誰でもかれでもみいんな。

   お医者さんでも、烏でも、
   残らず好きになりたいな。

   世界のものはみィんな、
   神さまがおつくりなったもの。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 『金子みすゞ全集』がJULA出版局から出版されて、今年で25周年になります。これを記念して、子どもから大人まで読める伝記『みんなを好きに 金子みすゞ物語』を出版しました。

 『みんなを好きに』という題にしたのは、みすゞさんの一生は、まわりの全てに佇み、好きになり、大切にした人だからです。

 それでもまだ、「みんなを好きになりたいな」と歌い、成り切れない自分がいると気づいていることが、みすゞさんのすごさです。

 振り返って自分を考えると、「みんなを好きになりたいな」とさえ、思っていない自分がいます。だから、あの人好き、あの人嫌いといってしまうのです。

 せっかく、みすゞさんに出合えたのです。心も身も開放される夏です。この夏のはればれとした空のように、心の中にしっかりと「みんなを好きになりたいな」と、うれしい言葉を何度もなん度も、こだましたいと思います。

 

                        金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫


 

蝉のおべべA

平成21年6月25日掲載

   母さま、
   裏の木のかげに、
   蝉のおべべが
   ありました。

   蝉も暑くて
   脱いだのよ、
   脱いで、忘れて
   行ったのよ。

   晩になったら
   さむかろに
   どこへ届けて
   やりましよか。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 夏ももうすぐです。金子みすゞ記念館のある仙崎の町にも、蝉のぬけがらを見つけることができるようになります。

 みすゞさんの詩を読むと、みすゞさんは言葉を広げるように使うことができた人だ、といつも感動します。この『蝉のおべべ』もそうです。

 「母さま、/裏の木のかげに、/蝉のおべべが/ありました。」という幼子の言葉に、「おべべではありません。ぬけがらです。」と答えたら、母と子の会話はここで終わってしまいます。そこを、「蝉も暑くて/脱いだのよ、/脱いで、忘れて/行ったのよ。」と、幼子の言葉をきちんと受けて、広げてこだましてくれたので、その後の幼子のやさしい言葉が生まれたのです。

 今、私自身も、そんな大人でありたいと強く思います。

 

                          金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

ながい夢

平成20年12月1日掲載


 きょうも、きのうも、みんな夢、
 去年、一昨年、みんな夢。

 ひょいとおめめがさめたなら、
 かわい、二つの赤ちゃんで、
 おっ母ちゃんのお乳をさがしてる。

 もしもそうなら、そうしたら、
 それこそ、どんなにうれしかろ。

 ながいこの夢、おぼえてて、
 こんどこそ、いい子になりたいな。

 

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)


 『ながい夢』を読むたびに、みすゞさんはすごいな、と思います。

 「こんどこそ、いい子になりたいな」と、みすゞさんがうたっているからです。

 充分すぎるほど、いい子だったみすゞさんが、それでもまだ「いい子になりたい」といっているのです。「いい子になれない」自分を、みすゞさんは知っているのです。

 このことが、すごいな、と思います。

 「いい子ではない」私も、ときどきは「いい子になりたい」と思うことがあります。

 それはみすゞさんの作品に出合って、すこし心がゆらいで、幼い頃、祖母や母から「いい子だね」といって褒めてもらったことばを、以前より思い出しやすくなったからでしょう。

 「いい子だね」といってくれる大人がいたから、「いい子になりたい」と思えるのでしょう。未来の大人である幼い人たちに、きちんといってあげられる自分でいたいと思います。

 

                           金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

 

仔牛(べえこ)

平成20年10月15日掲載


  ひい、ふう、みい、よ、踏切で、
  みんなして貨車をかずえてた。
  いつ、むう、ななつ、八つめの、
  貨車に仔牛はのっていた。


  売られてどこへゆくんだろ、
  仔牛ばかしで乗っていた。


  夕風つめたい踏切で、
  皆して貨車をみおくった。


  晩にゃどうしてねるんだろ、
  母さん牛はいなかった。


  どこへ仔牛はゆくんだろ、
  ほんとにどこへゆくんだろ。

 

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)


 「どこへ仔牛はゆくんだろ、/ほんとにどこへ行くんだろ」

 『仔牛』を読むたびに、この最後の二行が深くわたしのこころに響きます。

 

  われわれは何処から来たのか

  われわれは何者か

  われわれは何処へ行くのか

 

 ポール・ゴーギャンの最後の一枚の題だそうです。私たちは誰もが、生まれ、生き、去る存在です。「どこへ仔牛はゆくんだろ」と、うたったみすゞさんの思いは、そのまま仔牛と一緒に貨車に乗って行ったに違いありません。

 人は一人で生まれ、一人で去っていきます。でも、みすゞさんのように去りゆく人に自分の思いをずっと届けられる、そんな人でありたいと思います。

 

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

不思議

平成20年9月12日掲載

 

     私は不思議でたまらない、
     黒い雲からふる雨が、
     銀にひかっていることが。

     私は不思議でたまらない、
     青い桑の葉たべている、
     蚕が白くなることが。

     私は不思議でたまらない、
     たれもいじらぬ夕顔が、
     ひとりでぱらりと開くのが。

     私は不思議でたまらない、
     誰にきいても笑ってて、
     あたりまえだ、ということが。

 

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)


 みすゞさんは不思議がりのとても上手な人でした。いいえ、誰でも小さい時は、みんな不思議がりの天才でした。

 「どうして〜なの」「なぜ〜なの」と、大人の人にきいたものです。そんな時、きちんと答えてくれる大人の人に出合った時は、しあわせです。

 でも、自分自身を振り返ると、「そんなことあたりまえ」と、いってきたようにも思います。

 本当は、あたりまえのことを尋ねてくれたり、してみせてくれることは、「よく気がついたね」「すごいね」と、ほめる機会をたくさんくれている、ということなのです。

 「そんなことあたりまえ」と、ぽんと横に置いてしまうより、「すごいね」「えらいね」とほめてあげられる自分でいたい、と今思っています。あたりまえのことを、気づいたり、したりできるのは、やっぱりすてきなことなのですから。

 

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

平成20年6月29日掲載

   どこにだって私がいるの、
   私のほかに、私がいるの。

   通りじゃ店の硝子のなかに、
   うちへ帰れば時計のなかに。

   お台所じゃお盆にいるし、
   雨のふる日は、路にまでいるの。

   けれでもなぜか、いつ見ても、
   お空にゃ決していないのよ。

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)


 みすゞさんはコンパスのように、【自分を中心】にして、くるりくるりと回ることの出来る人でした。だから「どこにだって私がいるの」と気づけたのです。

 そして、ああ、そうか。私が私でおらしてくれているのは、私以外のすべての存在なんだ、と気がついたのです。つまり、そちらの私とこちらの私で、すべては成り立っているのです。

 【自分中心】と、【自分を中心】には似ているようですが、まったく違います。【自分中心】とは、自分を中心に置いて動かないということです。これだと、自分の見える範囲は決まってしまいますから、相手に対して、自分の見えるところまで動けと、相手に強いるのです。

 「どうして出来ない」「なぜ動かない」と。

 【自分を中心】にして、くるりくるりと回れる人になりたいと思います。きっと私たちのまわりには、うれしいことがたくさん待っていてくれるのですから。

 

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

 

燕の母さん

平成20年6月1日掲載

燕の母さん    ついと出ちゃ
    くるっとまわって
    すぐもどる。

    つういと
    すこうし行っちゃ
    また戻る。

    つういつうい、
    横町へ行って
    またもどる。

    出てみても、                   ▲記念館に巣をつくっている燕の親子
    出てみても、
    気にかかる、

    おるすの
    赤ちゃん
    気にかかる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)


 今年も仙崎に燕がやってきました。記念館にも二つの家族が巣立ちを待っています。

 ”ついと出ちゃ/くるっとまわって/すぐもどる”

 親燕を見ながら、みすゞさんが見た燕の子どもの子どもの子どもの…と思うと、【いのち】のつながりに感動しますし、今年もそのつながりが続いていることにうれしくもなります。

 燕の母さんは、【いのち】を授かったよろこびでいっぱいなのでしょう。でも万物の霊長といわれる私たち人間は、「そろそろ赤ちゃんをつくったら」というような言葉で【いのち】をつくれるものと考えちがいを始めたのかもしれません。つくった【いのち】だから、捨てたり、壊したりしがちなのでしょう。

 【いのち】はつくるものではなく、授かるものです。『燕の母さん』を読むと、深くこのことが心に届きます。

                                  金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫

  

空の鯉

平成20年4月25日掲載

空の鯉   お池の鯉よ、なぜ跳ねる。

   あの青空を泳いでる、
   大きな鯉になりたいか。 

   大きな鯉は、今日ばかり、
   明日はおろして、しまわれる。

   はかない事をのぞむより、
   跳ねて、あがって、ふりかえれ。

   おまえの池の水底に、
   あれはお空のうろこ雲。

   おまえも雲の上をゆく、
   空の鯉だよ、知らないか。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 五月の空にこいのぼりの鯉が泳ぎます。

 幼い日、仙崎の金子家の裏庭の空を、紙でつくったこいのぼりの鯉が気持ちよく泳いでいたことでしょう。 お兄さんの堅助さんと弟の正祐さんと一緒に、みすゞさんもまぶしいような気持ちで眺めたに違いありません。

  「こいのぼりの鯉はいいなぁ、あんなに自由に空を泳げて」と、つい自分より他の存在をうらやましく思いがちになるのが私たちです。でも、みすゞさんは『空の鯉』で、「おまえも雲の上をゆく、/空の鯉だよ、知らないか。』と歌ってくれたのです。

  まなざしを変えるだけで、あなたも私も空をゆく鯉なのだと。なんとうれしい私たちなのでしょう。五月五日が終わっても、私たちのこころの中で、空の鯉は泳いでいます。そんな気持ちで空を見上げてくださったらうれしいです。

 

金子みすゞ記念館館長  矢崎節夫

わらい

平成19年11月27日掲載

   それはきれいな薔薇いろで、
   芥子つぶよりかちひさくて、
   こぼれて土に落ちたとき、
   ぱつと花火がはじけるやうに、
   おほきな花がひらくのよ。

   もしも泪がこぼれるやうに、
   こんな笑ひがこぼれたら、
   どんなに、どんなに、きれいでせう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 みすゞさんの『わらい』ほど、美しくて、倖せなわらいを私は知りません。

 人間も動物も泣いたり笑ったりします。世界中の動物の中で、人間が一番泣いたり笑ったりするのが上手なのでしょう。こんなすてきな特徴をもらっているのに、いつの間にか回りを気にして、泣くことも笑うことも上手に出来なくなっているのが私たち人間かもしれません。

 いいえ、人間も動物もと書きましたが、本当は植物だって泣いたり笑ったりしているのかもしれません。いいえ、笑っているのですね。「ぱっと花火がはじけるように、おおきな花がひらくのよ」とみすゞさんはうたっています。人間の私も、自分らしく大きなわらいの花を咲かせたいと思います。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫

浜の石

平成19年7月17日掲載

   浜辺の石は玉のやう、
   みんなまるくてすべつこい。
   浜辺の石は飛び魚か、
   投げればさつと波を切る。

   浜辺の石は唄うたひ、
   波といちにち唄つてる。
   ひとつびとつの浜の石、
   みんなかはいい石だけど、
   浜辺の石は偉い石、
   皆して海をかかへてる。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 金子みすゞさんのふるさと仙崎は仙崎湾と深川湾に囲まれた、小さな漁師町です。かつては今のみすゞ通りと呼ばれている大通りから右を見ても左を見ても、浜辺とそこに寄せてくる海が見えました。

 浜辺に立って海を見ると、私たちはつい大きな海に目も心もいっぱいになって、ほかのものは何も見えなくなってしまいます。「ああ、海って大きいな!すごいなあ!」と。

 でも、みすゞさんの『浜の石』を読むと、大きいものばかりに、目立つものばかりに目を向けがちな自分を、ふわっと解き放してくれるような喜びに出合えます。「そうか、そうなんだよね、一番大切なものを見なかったんだ」みすゞさんと一緒に、なんだかにこにこ倖せな気持ちになりますね。

金子みすゞ記念館館長    矢崎節夫

薔薇の根

平成19年3月28日掲載

  はじめて咲いた薔薇は
  紅い大きな薔薇だ。
    土のなかで根が思ふ
    「うれしいな、
    うれしいな。」

  二年めにや、三つ、
  紅い大きな薔薇だ。
    土のなかで根がおもふ
    「また咲いた、
    また咲いた。」

  三年めにや、七つ、
  紅い大きな薔薇だ。
    土のなかで根がおもふ
    「はじめのは
    なぜ咲かぬ。」

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 長門市仙崎にある金子文英堂(金子みすゞ記念館の一部として復元されました)の裏庭には、みすゞさんが見た薔薇が今も咲いています。この薔薇を見る度に、『薔薇の根』という作品を思い出します。はじめて花が咲いた時、土のなかで根は思うのです。「うれしいな、うれしいな」と。二年目に三つ咲くと、根は思うのです。「また咲いた、また咲いた」。三年目には七つも咲いたのです。「また咲いた、またまた咲いた」と喜んでいいはずなのに、”土のなかで根がおもふ/「はじめのは/なぜ咲かぬ。」と・・・。そうなのですね。私たちはつい数の多さに囚われて、初めて咲いた時の無心の喜びを忘れがちなのですね。

 記念館も五年目に入ります。初心を大切にしたいと思っています。どうぞおでかけ下さい。

金子みすゞ記念館館長    矢崎節夫

蝉のおべべ@

平成18年7月26日掲載

   母さま、
   裏の木のかげに、
   蝉のおべべが
   ありました。

   蝉も暑くて
   脱いだのよ、
   脱いで、忘れて
   行ったのよ。

   晩になったら
   さむかろに
   どこへ届けて
   やりましよか。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 金子みすゞさんの作品を読むと、いつもホッとして、しあわせな気持ちになります。それは、丸ごと受け入れて、こだましてくれる喜びに、誰もが出合えるからなのではないでしょうか。

 「蝉のおべべが/ありました。」という我が子に対するお母さんの言葉は、なんとやわらかく、うれしいのでしょうか。

「蝉も暑くて/脱いだのよ、/脱いで、忘れて/行ったのよ。」

 お母さんが我が子の言葉を丸ごと受け入れて、こだましてくれたおかげで、幼い子のこころにやさしさが生まれたのです。

 「晩になったら/さむかろに、/どこへ届けて/やりましょか」

金子みすゞ記念館館長    矢崎節夫

大漁

平成18年4月3日掲載

   朝燒小燒だ
   大漁だ
   大羽鰮の
   大漁だ。

   濱は祭りの
   やうだけど
   海のなかでは
   何萬の
   鰮のとむらひ
   するだらう。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 春になると、私はいつもみすゞさんの『大漁』を思います。

 桜の花が咲き、散っていきます。その度に、人はつどい、そして去っていきます。春になると日本中どこでも見られる風景です。咲くいのちも、散るいのちです。つどうひともまた、いつかこの世を去っていきます。生と死、この二つは、じつは、二つで一つなのですね。

 「喜びと悲しみ」「目に見えるものと見えないもの」「生きることと死ぬこと」。すべては二つで一つなのです。「あなたと私」で一つなのです。このことに気づくと、自分中心のまなざしがちょっとゆらいで、ふっとやさしい気持ちになってきませんか。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫

星とたんぽぽ

平成17年5月10日掲載

   青いお空の底ふかく、
   海の小石のそのやうに、
   夜がくるまで沈んでる、
   昼のお星は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

   散つてすがれたたんぽぽの、
   瓦のすきに、だァまって、
   春がくるまでかくれてる、
   つよいその根は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

『金子みすゞ全集』(JULA出版局)

 

 山口県長門市仙崎で生まれた金子みすゞ。みすゞは二十一世紀を生きる私たちに童謡という、誰にでもわかる言葉で大切なことをうたってくれた美しい童謡詩人です。

 「見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ」

 本当にそうですね。でも、日常の中ではつい忘れてしまって目に見えるものだけを見てしまいがちです。しかし、大切なものは、見えないけれどもあるのですね。  『星とたんぽぽ』を声に出して読むと、「あなたの中にも、このまなざしがなかったわけではないのです。思い出せばあるのです」と、すぐそばでみすゞさんがほほえんでいてくれているようで、うれしい気持ちになりませんか。

金子みすゞ記念館館長   矢崎節夫